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享徳の乱の背景
二重権力体制に揺れる関東
鎌倉時代以降、関東は幕府の支配下にありながらも独自の政治機構を持っていました。室町幕府は鎌倉に「鎌倉公方(くぼう)」を置き、将軍家の一族が現地支配を行っていました。一方で、幕府の代官として関東を監督する「関東管領」が設置され、公方と管領という二重の権力体制が長く続いていたのです。
足利成氏と上杉憲忠の対立
享徳の乱の直接の原因は、鎌倉公方・足利成氏と、関東管領・上杉憲忠との対立です。成氏は父・持氏の仇討ちを念頭に幕政にあたり、強い自立志向を持っていました。一方、上杉憲忠は幕府との連携を重視し、関東での幕府の権威を維持しようとしました。この両者の主導権争いは次第に激化し、成氏は憲忠を「関東支配の障害」と見なし、ついに暗殺に踏み切ります。これが享徳の乱の発端となりました。
享徳の乱の勃発と展開
上杉憲忠の殺害と反成氏勢力の結集
享徳3年(1454年)、足利成氏は鎌倉に招いた上杉憲忠を殺害します。これに激怒した上杉氏は、関東中の上杉一族(山内上杉家、扇谷上杉家など)を中心に反成氏の連合軍を結成。幕府も成氏を追討する構えを見せ、成氏は鎌倉を追われて古河(現在の茨城県古河市)に移ります。以後、成氏は「古河公方」として抵抗を続け、関東では上杉氏との間で数十年にわたる内戦が続くことになります。
長期戦と分裂の深刻化
享徳の乱は単なる一地域の紛争にとどまらず、関東のほぼ全域を巻き込む長期戦となりました。特に山内上杉家と扇谷上杉家の対立、さらに越後の長尾景春の反乱なども絡み、関東の勢力図は複雑化します。戦いは断続的に続き、和平や局地的な戦闘の繰り返しの中で、関東は次第に中央の幕府の統制が及ばない「戦国の地」へと変貌していきました。
享徳の乱の影響
関東の支配構造の崩壊と戦国大名の台頭
享徳の乱の最大の影響は、関東における幕府支配の形骸化と、戦国大名の勃興です。特に、上杉氏の家宰であった長尾氏や、相模の北条早雲(後北条氏)などがこの混乱の中で台頭し、以後の関東戦国時代の主要プレイヤーとなっていきます。
幕府権威の低下と応仁の乱への連鎖
享徳の乱によって室町幕府の権威はさらに揺らぎます。関東という一大勢力圏を統治できなくなった幕府は、中央でも統制力を失い、やがて応仁の乱(1467年)へとつながっていきます。享徳の乱は、地方の内乱が中央に波及していく「戦国の時代」の幕開けだったとも言えるでしょう。
重要人物
- 足利成氏:鎌倉公方。享徳の乱の発端となる上杉憲忠の殺害を行い、古河公方を名乗った。
- 上杉憲忠:関東管領。暗殺され、上杉方による反撃を招く。
- 上杉顕定:憲忠の後継として、上杉軍を率い古河公方と対立した。
室町時代の年表
年号 | 出来事 |
---|---|
1336年 | 足利尊氏が京都に入り、室町幕府を開く |
1336年 | 南北朝時代が始まる |
1338年 | 足利尊氏が征夷大将軍に任命される |
1339年 | 後村上天皇が即位し南北朝の対立が続く |
1350年 | 観応の擾乱が勃発(1350~1352年) |
1368年 | 足利義詮が第2代将軍に就任 |
1378年 | 足利義満が第3代将軍に就任 |
1391年 | 明徳の乱が起こる |
1392年 | 明徳の和約(南北朝合一が成立) |
1394年 | 足利義持が第4代将軍に就任 |
1397年 | 足利義満が金閣寺(鹿苑寺)を建立 |
1399年 | 応永の乱が起こる |
1423年 | 足利義量が第5代将軍に就任 |
1423年 | 足利義教が第6代将軍に就任 |
1441年 | 嘉吉の変で足利義教が暗殺される |
1442年 | 足利義勝が第7代将軍に就任 |
1449年 | 足利義政が第8代将軍に就任 |
1454年 | 享徳の乱が始まる(1454~1482年) |
1467年 | 応仁の乱が勃発(1467~1477年) |
1477年 | 応仁の乱が終結するも戦国時代の幕開けとなる |
1490年 | 足利義尚が第9代将軍に就任 |
1490年 | 足利義稙が第10代将軍に就任(初回) |
1495年 | 足利義稙が第11代将軍に就任 |
1507年 | 永正の錯乱が起こる |
1508年 | 足利義稙が再就任(2回目) |
1521年 | 足利義晴が第12代将軍に就任 |
1549年 | 足利義輝が第13代将軍に就任 |
1568年 | 足利義栄が第14代将軍に就任 |
1568年 | 足利義昭が第15代将軍に就任 |
1573年 | 足利義昭が追放され、室町幕府滅亡 |
まとめ
享徳の乱は、室町幕府による東国支配の限界を露呈させ、関東を30年にもわたる戦乱へと陥れました。鎌倉公方と関東管領の対立という構造的問題は、やがて幕府の権威そのものをも崩壊させ、全国的な下剋上と戦国時代の流れを加速させていきます。この乱を理解することは、戦国の始まりを読み解く上で重要な鍵となります。
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