Contents
八咫烏とは何か?

神武天皇を導いた「導きの神」
八咫烏とは、日本神話に登場する神の使いのカラスで、神武天皇が東征の際に熊野から大和(橿原)へ至る道中を導いたとされます。その役目から、導きの神・勝利の象徴とされ、現在でも多くの神社で信仰されています。『古事記』では高木大神(=天照大神とする説あり)に命じられ、『日本書紀』では天照大神に遣わされて登場。各書で少し異なるエピソードが描かれていますが、いずれも「道を示す神鳥」として登場します。
八咫烏の歴史と信仰の広がり

神話から現代へ続く伝承
神武天皇が太陽の子孫である自らにふさわしい「東から西へ攻め入る」戦略をとった際、八咫烏はそのルートの案内役を果たしました。八咫烏の導きによって紀伊半島を迂回し、神武は吉野から大和に入り、日本の初代天皇として即位します。このように、八咫烏は「天照大神の使者」「勝利への導き手」として神聖視され、熊野の神の使いとしての信仰にもつながっていきます。
熊野との深い関係
熊野三山において、カラスは「ミサキ神(死霊を鎮めた神使)」とされ、八咫烏はその象徴とされてきました。特に熊野本宮大社では八咫烏は神の使いとして重要な役割を果たし、牛玉宝印(ごおうほういん)などにその姿が描かれました。
三本足の八咫烏とは?

いつから三本足になったのか?
実は、『古事記』や『日本書紀』には八咫烏が三本足であるとは書かれていません。三本足の八咫烏が登場するのは、平安時代中期の辞書『倭名類聚抄』(930年頃)であり、中国や朝鮮の伝承にある「三足烏」と混同されて成立したと考えられます。
三本足の意味は?
熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足は「天・地・人」を表すとされます。これは自然と人、そして神が一体であるという古代信仰を象徴するものです。他にも、熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の三家を象徴する説や、古来より「太陽」を表す数が「三」であることに由来する説など諸説あります。また、エジプトや地中海沿岸の古代神話にまで共通点を見出す説もあり、八咫烏の起源や意味は、広く神秘性を帯びています。
八咫烏と賀茂氏の関係

『新撰姓氏録』では、八咫烏は賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身とされ、京都の賀茂神社(下鴨神社・上賀茂神社)に関係する賀茂県主氏の祖とも言われています。奈良県宇陀市の八咫烏神社は、賀茂建角身命を祀る神社として知られています。このように、八咫烏は単なる神話上の使い鳥にとどまらず、特定の氏族や神社の祖神としても信仰されてきたのです。
まとめ
八咫烏は、神武天皇を導いた神の使いとして、また熊野の神使として、古代から現在まで日本人の信仰を集めてきました。三本足という神秘的な特徴は、天・地・人の調和や太陽信仰などさまざまな意味を内包しており、神話を超えて文化や歴史にも深く関わっています。現代では日本サッカー協会のエンブレムとしても知られ、勝利を呼ぶ象徴としても愛されています。八咫烏の神秘に触れることで、日本神話の奥深さと、古代人の自然観・神観に触れることができます。
コメント