安和の変(あんなのへん)は、平安時代中期の安和2年(969年)に発生した政変です。左大臣・源高明が謀反の疑いをかけられ、政界から追放されることで、藤原氏による摂関政治の支配体制が決定的に確立しました。後の日本の政治構造に大きな影響を与えたこの事件は、藤原氏の権力集中と他氏排除の象徴的な出来事として知られます。
Contents
安和の変の背景
藤原氏と源氏の対立
10世紀後半、藤原氏は摂政・関白を通じて朝廷内での権力を強めていました。一方、皇族から臣籍降下した源氏や、他の有力貴族も政界進出を図っており、政治的緊張が高まっていました。中でも、醍醐天皇の皇子を父に持つ源高明は、左大臣として強い存在感を示しており、藤原氏にとって脅威となっていました。
藤原実頼と実資の動き
当時、関白の藤原実頼とその甥・実資は、藤原氏主導の政治体制の維持を目指していました。政敵である源高明を排除するため、密かに策略をめぐらせていたとされます。
政変の展開
安和2年(969年)、源満仲の密告により、源高明が謀反を企てているという噂が朝廷に広まりました。これを受けて、藤原実頼らは迅速に動き、源高明を大宰権帥(だざいのごんのそち)として九州へ左遷。政治の中枢から排除することに成功しました。源高明は無実を訴えましたが、弁明の機会もほとんど与えられず、事件は短期間で幕を閉じます。この結果、政敵を排除した藤原氏の支配はさらに盤石となりました。
安和の変の影響
摂関政治の完成
安和の変によって、藤原氏に対抗できる有力貴族は政界から一掃されました。これにより、摂政・関白を世襲する藤原氏の支配体制が確立し、平安時代中期から後期にかけての摂関政治の最盛期が始まります。
他氏排除の前例に
藤原氏による政敵排除の前例として、安和の変は後の政治にも影響を与えました。この事件以降、貴族社会では密告や讒言(ざんげん)による失脚が常態化し、貴族間の緊張関係が強まっていきました。
重要人物
- 源高明:左大臣。醍醐天皇の皇子・源常明の子で才覚と人望を兼ね備えた実力者だったが、謀反の疑いをかけられて失脚した。
- 藤原実頼:関白。藤原氏の中心人物として、安和の変の首謀者の一人。源高明を排除後、摂関政治を確立。
- 源満仲:摂津国の武士。源高明の謀反を密告し、後に清和源氏の祖として源氏の武家勢力の礎を築いた。
平安時代の年表
元号 | 天皇 | 時期 | 出来事 |
---|---|---|---|
延暦 | 桓武天皇 | 794年 | 平安京に遷都、平安時代が始まる |
797年 | 「勘解由使(かげゆし)」の設置 | ||
「坂上田村麻呂」が「征夷大将軍」に任命される | |||
弘仁 | 淳和天皇 | 810年 | 「薬子の変」が起こる |
815年 | 京都の治安を守る「検非違使」が設置される | ||
820年 | 「弘仁格式」の制定 | ||
天長 | 仁明天皇 | 833年 | 律令の官選注釈書「令義解(りょうのぎげ)」の完成 |
承和 | 842年 | 「承和の変」が起こる | |
天安 | 清和天皇 | 858年 | 「藤原良房」が事実上の「摂政」となる |
貞観 | 陽成天皇 | 866年 | 「応天門の変」が起こる |
藤原良房が正式に摂政となる | |||
元慶 | 光孝天皇 | 884年 | 「藤原基経」が「光孝天皇」を擁立、「関白」となる |
仁和 | 宇多天皇 | 887年 | 「阿衡の紛議」が起きる |
寛平 | 醍醐天皇 | 894年 | 「遣唐使」が廃止される |
昌泰 | 901年 | 菅原道真が「大宰府」に左遷される | |
承平 | 朱雀天皇 | 935年 | 「平将門の乱」が始まる |
天慶 | 村上天皇 | 939年 | 「藤原純友の乱」が始まる |
天徳 | 958年 | 「乾元大宝」の鋳造が行われる | |
安和 | 円融天皇 | 969年 | 「安和の変」が起こる |
寛和 | 一条天皇 | 986年 | 「藤原兼家」が摂政となる |
長保 | 1001年 | 「枕草子」が完成する | |
長和 | 後一条天皇 | 1016年 | 「藤原道長」が摂政となる |
寛仁 | 1012年 | 「藤原頼通」が摂政となる | |
藤原道長が太政大臣となる | |||
1019年 | 刀伊の入寇(といのにゅうこう)が起こる | ||
藤原頼通が関白となる | |||
万寿 | 1028年 | 「平忠常の乱」が起こる | |
永承 | 後冷泉天皇 | 1051年 | 「前九年の役」が起こる |
1052年 | 藤原頼通が「平等院」を開創する | ||
永保 | 白河天皇 | 1083年 | 「後三年の役」が起こる |
応徳 | 堀河天皇 | 1086年 | 「白河天皇」が上皇となり、院政を開始 |
嘉保 | 1095年 | 「北面の武士」が置かれる | |
嘉承 | 鳥羽天皇 | 1108年 | 「源義親の乱」が起こる |
天治 | 崇徳天皇 | 1124年 | 「中尊寺金色堂」が建立される |
保元 | 二条天皇 | 1156年 | 「保元の乱」が起こる |
1158年 | 後白河天皇が上皇となり、院政を開始 | ||
平治 | 1159年 | 「平治の乱」が起こる | |
仁安 | 高倉天皇 | 1167年 | 平清盛が太政大臣となる |
安元 | 1177年 | 「安元の大火」が起こる | |
治承 | 安徳天皇 | 1179年 | 平清盛が後白河法皇を幽閉する |
1180年 | 「以仁王の令旨」が出される | ||
寿永 | 後鳥羽天皇 | 1183年 | 源義仲が「俱利伽羅峠の戦い」で平氏に勝利 |
1184年 | 「一ノ谷の戦い」で源義経、源範頼が平氏に勝利 | ||
文治 | 1185年 | 「屋島の戦い」が起こる | |
「壇ノ浦の戦い」で平氏が滅亡する | |||
源頼朝が「守護・地頭」の任命権等を得る |
まとめ
安和の変は源高明の失脚を通じて、藤原氏が政界の主導権を完全に掌握する契機となった事件です。この出来事により、摂関政治の支配構造が完成し他氏排除の先例が確立しました。政治の安定と引き換えに、多様な人材が政界から遠ざけられた点も含め、平安時代の権力構造を象徴する重要な転換点といえるでしょう。
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