【永正の錯乱とは】細川家の後継争いと幕府の動揺

室町時代
室町時代後期、細川一族の権力争いが激化し、幕府の政治にも深刻な混乱を招いたのが「永正の錯乱」です。この事件は、将軍権威の衰退と戦国時代の到来を象徴する重要な出来事でもあります。この記事では、その背景や経過、影響をわかりやすく解説します!
 

永正の錯乱とは?

細川氏内部の激しい権力闘争

「永正の錯乱(えいしょうのさくらん)」とは、1507年から1511年ごろにかけて発生した、細川政元の死後に始まった後継者争いと、それに伴う室町幕府内外の混乱を指します。政元は、将軍以上の実権を握った有力管領でありながら、実子を持たず、複数の養子を迎えていました。これが後の火種となり、三人の養子である細川澄之(すみゆき)、細川高国(たかくに)、細川澄元(すみもと)がそれぞれ後継者の座を狙い争う事態に発展しました。結果的に、この内紛は幕府の権威を大きく損ない、戦国時代への移行を決定づけるものとなりました。

永正の錯乱の背景

絶大な権力を持った細川政元

細川政元は、第10代将軍足利義稙を廃し、足利義澄を将軍に擁立するなど、幕府の実権を完全に掌握していた人物です。将軍家すら左右する彼の死は幕府に大きな空白をもたらしました。細川政元は後継ぎを定めないまま1507年に家臣によって暗殺され、その死後に細川家内部の派閥抗争が激化しました。

養子三人による分裂

細川政元の養子である細川澄之・細川高国・細川澄元は、それぞれが外戚や有力武将の支援を受けて後継を主張。家中は三者に分裂し、ついには実力行使へと突入していきます。

細川家の内乱と幕府の混乱

細川澄之の失脚と細川澄元の台頭

細川政元暗殺後、最初に実権を握ったのは細川澄之でしたが、すぐに細川澄元派に討たれて失脚。細川澄元が政権を握るも、対抗する細川高国との争いは終わらず各地で戦が続きました。

細川高国の勝利と将軍交代

1511年、細川高国は大内義興と手を結び、細川澄元を京から追放。さらに、足利義稙を再び将軍に擁立し足利義澄を失脚させます。これにより、幕府内は将軍の代替わりを含む混乱を極め、政情不安が続くことになります。

永正の錯乱がもたらした影響

将軍の権威失墜と戦国時代の加速

この錯乱は将軍が自らの意思で政務を執れない状態を露呈させました。将軍職が有力守護大名の争いの道具となり、室町幕府の求心力は急激に低下していきます。また、細川家の内紛により京都の治安も悪化し、幕府による中央支配は事実上崩壊。結果として地方大名が自立し、戦国大名として成長していく時代が本格化します。

重要人物

  • 細川政元:絶大な権力を持つ管領。養子問題が死後の混乱を招いた。
  • 細川澄之:政元の養子の一人。政元死後に一時台頭するも澄元派に討たれる。
  • 細川澄元:政元の後継を主張した有力養子。高国と対立し、追放される。
  • 細川高国:澄元と対立したもう一人の養子。義稙を擁立し幕府の実権を掌握。
  • 足利義稙:第11代将軍。高国の支援を受けて再び将軍職に就任。
  • 足利義澄:義稙と対立した将軍。澄元と結んでいたが追放される。

室町時代の年表

年号出来事
1336年足利尊氏が京都に入り、室町幕府を開く
1336年南北朝時代が始まる
1338年足利尊氏が征夷大将軍に任命される
1339年後村上天皇が即位し南北朝の対立が続く
1350年観応の擾乱が勃発(1350~1352年)
1368年足利義詮が第2代将軍に就任
1378年足利義満が第3代将軍に就任
1391年明徳の乱が起こる
1392年明徳の和約(南北朝合一が成立)
1394年足利義持が第4代将軍に就任
1397年足利義満が金閣寺(鹿苑寺)を建立
1399年応永の乱が起こる
1423年足利義量が第5代将軍に就任
1423年足利義教が第6代将軍に就任
1441年嘉吉の変で足利義教が暗殺される
1442年足利義勝が第7代将軍に就任
1449年足利義政が第8代将軍に就任
1454年享徳の乱が始まる(1454~1482年)
1467年応仁の乱が勃発(1467~1477年)
1477年応仁の乱が終結するも戦国時代の幕開けとなる
1490年足利義尚が第9代将軍に就任
1490年足利義稙が第10代将軍に就任(初回)
1495年足利義稙が第11代将軍に就任
1507年永正の錯乱が起こる
1508年足利義稙が再就任(2回目)
1521年足利義晴が第12代将軍に就任
1549年足利義輝が第13代将軍に就任
1568年足利義栄が第14代将軍に就任
1568年足利義昭が第15代将軍に就任
1573年足利義昭が追放され、室町幕府滅亡

まとめ

永正の錯乱は、管領・細川政元の死をきっかけに幕府の中枢である細川家が三派に分裂し、激しい権力闘争に発展した事件でした。この内紛は、将軍職の軽視や中央政権の機能不全を招き、戦国時代への扉を開く決定的な要因となります。細川家の混乱を通じて、戦国の幕開けを象徴する重要な歴史的転換点といえます。

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