南北朝時代とは?吉野と京都に分かれた二つの天皇

室町時代
日本史の中でも特に複雑で混乱を極めた時代が、南北朝時代(1336〜1392年)です。この時代には、同時に二人の天皇が存在し、それぞれが正統性を主張して争いました。京都と吉野、二つの朝廷が並立したこの約60年間は何がきっかけで始まり、どのように終結したのでしょうか?本記事では、南北朝時代の背景と流れをわかりやすく解説します。
 

南北朝時代の始まり:後醍醐天皇と建武の新政

南北朝の分裂のきっかけは、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の「建武の新政」にあります。1333年、鎌倉幕府が滅亡すると、後醍醐天皇は自らの手で新しい政治体制を始めました。しかしこの改革は武士たちの不満を招き、足利尊氏が離反。やがて尊氏は光明天皇を立て、京都に新たな朝廷(北朝)を樹立します。一方で後醍醐天皇は比叡山、そして吉野へと逃れ、南朝を名乗りました。こうして「二人の天皇」が並び立つ異常事態が生まれたのです。

南朝と北朝の特徴

南朝は「天皇直系」の血統を主張し、正統性に重きを置きました。対して北朝は、足利尊氏の力を借りて全国の政治を掌握し、実質的な支配者として幕府政治を進めていきます。

朝廷拠点初代天皇支援勢力主張
南朝吉野後醍醐天皇新田義貞、楠木正成など天皇の血統の正統性
北朝京都光明天皇足利尊氏など武家政権との安定的関係

南北朝の争いと各地の戦乱

この二つの朝廷は、各地の武士たちを巻き込みながら数十年にわたって戦い続けました。特に有名な戦いには、以下のようなものがあります。

概要

・湊川の戦い(1336年):楠木正成が足利尊氏と戦い、戦死。
・観応の擾乱(1350年〜):足利直義と高師直の対立により北朝内部でも混乱。
・北畠親房の南朝再建運動:常陸国(茨城県)で南朝勢力を盛り返す動き。

南朝の忠臣たちはゲリラ戦を中心に抗戦しましたが、次第に劣勢となり、北朝=室町幕府が支配権を確立していきます。

終結と「南北朝合一」

1392年、三代将軍足利義満の仲介により、南朝の後亀山天皇が京都に入り、北朝の後小松天皇に皇位を譲る形で「南北朝合一」が成立しました。これにより、日本の天皇は再び一つとなりました。ただし、この統合は「北朝の勝利」であり、以降の皇統は北朝の流れをくむものになります。

南北朝時代に登場する重要人物

  • 後醍醐天皇(南朝の天皇。建武の新政を実施。)
  • 光明天皇(北朝の初代天皇。足利尊氏によって擁立される。)
  • 足利尊氏(光明天皇を擁立して室町幕府を開く。)
  • 楠木正成(南朝の忠臣。湊川の戦いで足利尊氏に敗れる。)
  • 新田義貞(鎌倉幕府滅亡に貢献した南朝側の武将。)
  • 北畠親房(後醍醐天皇の側近で学識も高く『神皇正統記』を著す。)
  • 足利義満(室町幕府3代将軍。南北朝の統一を実現し、政治的安定を図る。)

南北朝時代にゆかりの神社

南北朝時代に関連する神社も、歴史と信仰を今に伝えています。

吉野山・金峯山寺(奈良県)

金峯山寺

南朝の拠点として知られており、境内には後醍醐天皇の御影堂があります。

湊川神社(兵庫県)

湊川神社

楠木正成を祀る神社。明治時代に創建され、忠臣の象徴として受験生や公務員志望者にも人気です。

石清水八幡宮(京都府)

石清水八幡宮

足利氏の武運を祈るため信仰された武家ゆかりの神社です。北朝・室町幕府との関わりが深いです。

室町時代の年表

年号出来事
1336年足利尊氏が京都に入り、室町幕府を開く
1336年南北朝時代が始まる
1338年足利尊氏が征夷大将軍に任命される
1339年後村上天皇が即位し南北朝の対立が続く
1350年観応の擾乱が勃発(1350~1352年)
1368年足利義詮が第2代将軍に就任
1378年足利義満が第3代将軍に就任
1391年明徳の乱が起こる
1392年明徳の和約(南北朝合一が成立)
1394年足利義持が第4代将軍に就任
1397年足利義満が金閣寺(鹿苑寺)を建立
1399年応永の乱が起こる
1423年足利義量が第5代将軍に就任
1423年足利義教が第6代将軍に就任
1441年嘉吉の変で足利義教が暗殺される
1442年足利義勝が第7代将軍に就任
1449年足利義政が第8代将軍に就任
1454年享徳の乱が始まる(1454~1482年)
1467年応仁の乱が勃発(1467~1477年)
1477年応仁の乱が終結するも戦国時代の幕開けとなる
1490年足利義尚が第9代将軍に就任
1490年足利義稙が第10代将軍に就任(初回)
1495年足利義稙が第11代将軍に就任
1507年永正の錯乱が起こる
1508年足利義稙が再就任(2回目)
1521年足利義晴が第12代将軍に就任
1549年足利義輝が第13代将軍に就任
1568年足利義栄が第14代将軍に就任
1568年足利義昭が第15代将軍に就任
1573年足利義昭が追放され、室町幕府滅亡

まとめ

南北朝時代は、単なる政権争いではなく、「天皇の正統性とは何か?」という本質的なテーマを抱えた時代でした。実力を持つ者が政治を動かす北朝と、血統と理念で対抗する南朝。この対立構造は、後の日本の政治にも大きな影響を与えています。

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