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南北朝時代の始まり:後醍醐天皇と建武の新政
南北朝の分裂のきっかけは、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の「建武の新政」にあります。1333年、鎌倉幕府が滅亡すると、後醍醐天皇は自らの手で新しい政治体制を始めました。しかしこの改革は武士たちの不満を招き、足利尊氏が離反。やがて尊氏は光明天皇を立て、京都に新たな朝廷(北朝)を樹立します。一方で後醍醐天皇は比叡山、そして吉野へと逃れ、南朝を名乗りました。こうして「二人の天皇」が並び立つ異常事態が生まれたのです。
南朝と北朝の特徴
南朝は「天皇直系」の血統を主張し、正統性に重きを置きました。対して北朝は、足利尊氏の力を借りて全国の政治を掌握し、実質的な支配者として幕府政治を進めていきます。
朝廷 | 拠点 | 初代天皇 | 支援勢力 | 主張 |
---|---|---|---|---|
南朝 | 吉野 | 後醍醐天皇 | 新田義貞、楠木正成など | 天皇の血統の正統性 |
北朝 | 京都 | 光明天皇 | 足利尊氏など | 武家政権との安定的関係 |
南北朝の争いと各地の戦乱
この二つの朝廷は、各地の武士たちを巻き込みながら数十年にわたって戦い続けました。特に有名な戦いには、以下のようなものがあります。
南朝の忠臣たちはゲリラ戦を中心に抗戦しましたが、次第に劣勢となり、北朝=室町幕府が支配権を確立していきます。
終結と「南北朝合一」
1392年、三代将軍足利義満の仲介により、南朝の後亀山天皇が京都に入り、北朝の後小松天皇に皇位を譲る形で「南北朝合一」が成立しました。これにより、日本の天皇は再び一つとなりました。ただし、この統合は「北朝の勝利」であり、以降の皇統は北朝の流れをくむものになります。
南北朝時代に登場する重要人物
- 後醍醐天皇(南朝の天皇。建武の新政を実施。)
- 光明天皇(北朝の初代天皇。足利尊氏によって擁立される。)
- 足利尊氏(光明天皇を擁立して室町幕府を開く。)
- 楠木正成(南朝の忠臣。湊川の戦いで足利尊氏に敗れる。)
- 新田義貞(鎌倉幕府滅亡に貢献した南朝側の武将。)
- 北畠親房(後醍醐天皇の側近で学識も高く『神皇正統記』を著す。)
- 足利義満(室町幕府3代将軍。南北朝の統一を実現し、政治的安定を図る。)
南北朝時代にゆかりの神社
南北朝時代に関連する神社も、歴史と信仰を今に伝えています。
吉野山・金峯山寺(奈良県)

南朝の拠点として知られており、境内には後醍醐天皇の御影堂があります。
湊川神社(兵庫県)

楠木正成を祀る神社。明治時代に創建され、忠臣の象徴として受験生や公務員志望者にも人気です。
石清水八幡宮(京都府)

足利氏の武運を祈るため信仰された武家ゆかりの神社です。北朝・室町幕府との関わりが深いです。
まとめ
南北朝時代は、単なる政権争いではなく、「天皇の正統性とは何か?」という本質的なテーマを抱えた時代でした。実力を持つ者が政治を動かす北朝と、血統と理念で対抗する南朝。この対立構造は、後の日本の政治にも大きな影響を与えています。
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