豪徳寺とは?

豪徳寺は、文明12年(1480)に世田谷城主・吉良政忠が創建した弘徳院を前身とし、江戸時代に彦根藩井伊家の菩提寺として整えられた曹洞宗の名刹です。また、井伊直孝を招いた猫の伝承から招き猫発祥の地の一つとされ、境内には招福猫児が並ぶ招猫殿があります。
所在地:東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
TEL:03-3426-1437
参拝時間:6:00~17:00
御利益と御本尊
豪徳寺がお祀りしているのは釈迦如来です。
・釈迦如来(しゃかにょらい)
◆御利益
・開運招福、心身の健康、精神的な安らぎなど
歴史

豪徳寺の歴史は、中世から江戸時代にかけての世田谷の変遷と深く結びついています。もともとこの地は、中世に武蔵吉良氏の居館であった世田谷城の主要部にあたり、文明12年(1480)、世田谷城主・吉良政忠が伯母である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を結んだのが始まりとされています。当初は臨済宗の寺院でしたが、天正12年(1584)に曹洞宗へと改宗しました。
江戸時代に入ると、寛永10年(1633)、世田谷一帯が彦根藩井伊家の所領となり、当時の彦根藩主・井伊直孝は弘徳院を井伊家の江戸菩提寺と定め、伽藍を大規模に整備しました。万治2年(1659)には、直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなみ、寺号を「豪徳寺」と改め、大名家の菩提寺にふさわしい壮麗な寺院として発展していきます。現在も井伊家歴代藩主の墓所が残されており、江戸時代の大名墓所の姿をよく伝える貴重な史跡として、国指定史跡となっています。
また豪徳寺は「招き猫発祥の地」の一つとしても知られています。伝承によれば、井伊直孝が寺の前を通りかかった際、猫に手招きされて境内に入ったことで雷雨を避け、住職の法談を聞くことができたことを喜び、豪徳寺を井伊家の菩提寺としたといわれています。この縁起にちなみ、境内には招福観音を祀る「招猫殿」が建立され、「招福猫児(まねぎねこ)」と呼ばれる素朴な白い招き猫が数多く奉納されています。平成18年(2006)には、猫の彫刻が施された三重塔も新たに建立され、豪徳寺は現在も歴史と信仰、そして招福の象徴を伝える寺院として多くの参拝者を集めています。
豪徳寺のアクセス
東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
◆交通機関
東急世田谷線「宮の坂駅」徒歩5分、小田急線「豪徳寺駅」徒歩15分
豪徳寺の御朱印

豪徳寺では上記のような御朱印をいただくことができます!
豪徳寺の見どころをご紹介!

山門を通って参拝スタート!

参道の右手には「地蔵堂」がありました!ここには地蔵菩薩半跏像が安置されています。

その奥には「梵鐘」が!この梵鐘は延宝7年(1679年)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造されたものです。

参道を進むと、狛犬と常香炉がありました!狛犬は大きい鞠を持っています。

仏殿は延宝5年(1677年)に建立されたものです。阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像などが安置されています。

仏殿の左手には三重塔が見えます!釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されています。

その奥には招福殿が!

招福殿の前には招き猫の銅像がありました!写真スポットにもなって賑わっていました。

招福殿は昭和16年に建築されたものが現存します。

招福殿の周りには大量の招き猫が!この招き猫は商売繁盛や開運招福を願い、多くの参詣者が奉納したものです。

そのすぐ近くには赤門がありました。この赤門は、井伊家の上屋敷にあった長屋門が寄贈されたものです。

赤門のすぐ近くにあるのが本堂です。聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置されています。

境内の左奥には井伊家の墓所が広がります。安政の大獄(あんせいのたいごく)を主導した井伊直弼を始め、井伊家の墓所が置かれています。

その他、各種絵馬や招き猫などをいただくことができます。絵馬には招き猫が描かれています。

招き猫は様々な大きさのものをいただくことができます。
まとめ
読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる豪徳寺にお立ち寄りください!


コメント