日御碕神社とは?
日御碕神社は、島根半島の最西端・出雲市日御碕に鎮座する古社で、神の宮と日沉宮の二社から成り立っています。素盞嗚尊と天照大御神を祀り、古くは『出雲国風土記』や『延喜式』にもその名が見える由緒ある神社です。現在の社殿は江戸初期に造営されたもので、出雲大社に次ぐ山陰屈指の大社として厚い信仰を受けています。
所在地:島根県出雲市大社町日御碕455
TEL:0853-54-5261
参拝時間:9:00~17:00
御利益と御祭神
日御碕神社がお祀りしているのは素盞嗚尊、天照大御神です。
・素盞嗚尊、天照大御神
◆御利益
・厄除け、縁結び、家運隆盛、夫婦円満、海上安全など
歴史

日御碕神社は出雲市大社町日御碕に鎮座する古社で、神の宮(上の宮)と日沉宮(下の宮)の二社を総称する神社です。古くは『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記され、『延喜式』にもその名が見えることから、奈良・平安時代にはすでに朝廷に認識された社であったことがうかがえます。
社伝によれば、神の宮に祀られる素盞嗚尊は、出雲の国造りを終えた後、自らの鎮まる地を求め、柏葉を風に飛ばして占いを行いました。その葉が落ちた隠ヶ丘に御魂が祀られたのが起源とされます。のちに安寧天皇13年、勅命によって現在地へ遷座したと伝えられ、古代より皇室との深い関わりを持つ神社として崇敬されてきました。
一方、日沉宮に祀られる天照大御神は、もとは経島に鎮座していたと伝わりますが、天暦2年(948)、村上天皇の勅命により現在地へ遷されました。「日の本の夜を守れ」との神意に由来するとされるこの宮は、伊勢神宮と対をなす存在として信仰を集めてきました。
平安時代末期には、後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』に「聖の住所」として詠み込まれ、日御碕は修験の霊地として都にも名を知られるようになります。中世に入るとその信仰はさらに広がり、出雲大社と並び称される大社へと発展しました。鎌倉・室町期を通じて朝廷や武家の崇敬を受け、出雲国の鎮守としての地位を確立していきます。
江戸時代初期には三代将軍徳川家光の命により大規模な社殿造営が行われました。寛永11年(1634)に着工し、寛永21年(1644)に完成した現在の社殿は、松江藩主らの手によるもので、以後も歴代藩主の厚い庇護を受けます。
明治4年には国幣小社に列せられるなど、近代でも重要な神社として位置づけられ現在に至ります。
日御碕神社のアクセス
島根県出雲市大社町日御碕455
◆交通機関
JR「出雲市駅」バスで60分
日御碕神社の御朱印

日御碕神社では上記のような御朱印をいただくことができます!
日御碕神社の見どころをご紹介!

鳥居をくぐって参拝スタート!

参拝前に手水舎で身を清めていきましょう!

手水舎の前には立派な楼門があります。

楼門をくぐった先にあるのが「門客人社」です。門番の役目をする櫛磐窓神と豊磐窓神をお祀りする神社で、向かい合って2棟配置されています。

目の前に見えるのが「日沉宮(ひしずみのみや)」です。天照大御神をお祀りする神社で、下の宮と呼ばれています。

日沉宮の社殿の上には獅子がいらっしゃいました。

また、「蟇股(かえるまた)」と呼ばれる部分のには各動物の彫刻が刻まれています。

すごく遠いですが、見ざる聞かざる言わざるの三猿の彫刻も左手奥にありました。

また、妻飾りには中央に太陽、右に月、左に星と思われる美しい彫刻がありました。それぞれ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを表現しているとされています。

階段を登って上にあるのが「神の宮(かみのみや)」で、素盞嗚尊をお祀りしています。

神の宮の社殿の上には象がいらっしゃいました。

日御碕神社では多くの境内社が存在します。山のほうへ階段で登ると稲荷神社があります。自然に囲まれた厳かな雰囲気が感じられます。

境内の右奥には庭園のような空間があり、多くの境内社があります。

中央には「昭和天皇御製碑」として「秋の果の斎の浜のみやしろにをろがみ祈る世のたひらぎを」と詠まれています。

右奥には十九社摂末社。

そして宝庫などもありました。

また、境内の外の島には「経島(ふみしま)」があります。一般の立ち入りは禁じられており、遠くからしか見ることができませんが、神幸祭の時にはこの島で神事が行われます。
まとめ
読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる日御碕神社にお立ち寄りください!

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