明顕山 祐天寺(東京・目黒区)〜御朱印の情報やご利益、歴史をご紹介します!〜

東京都
祐天寺ってどんなところ?ご利益は?御朱印の料金、いただける場所、時間など、本記事では実際に祐天寺に参拝していただいた御朱印、神社の特徴について解説いたします!
 

祐天寺とは?

祐天寺

祐天寺は、江戸中期の名僧・祐天上人の遺徳をしのんで、弟子の祐海上人が享保3年(1718)に建立した浄土宗の寺院です。将軍家の厚い庇護を受けて念仏道場として発展し、明治の火災を経て再建され、現在も地域を代表する寺院として親しまれています。

基本情報
祐天寺(ゆうてんじ)
所在地:東京都目黒区中目黒5-24-53
TEL:03-3712-0819
参拝時間:9:00~17:00

御利益と御本尊

祐天寺がお祀りしているのは祐天上人像、阿弥陀如来坐像です。

御利益・御祭神
◆御本尊
・祐天上人像
・阿弥陀如来坐像
◆御利益
・無病息災、厄除けなど

歴史

祐天寺

 祐天寺は、江戸中期に活躍した浄土宗の名僧・祐天上人の遺徳をしのんで建立された寺院です。祐天上人は、増上寺で修行したのち、隅田区牛島に草庵を結び、「南無阿弥陀仏」の名号を書写して授ける修行を続けました。この名号を受けた人々にさまざまな霊験があったとされ、その評判は将軍綱吉の生母・桂昌院の耳にも届き、将軍家・皇室・諸大名からの厚い帰依を受けるようになります。
 その後、祐天上人は正徳元年(1711)に6代将軍家宣から増上寺36世の住職に任ぜられ、退隠後も念仏と名号書写に専念し、享保3年(1718)に82歳で遷化しました。遺言により弟子の祐海上人が念仏道場の建立を決意しますが、当時は新寺院の建立が禁止されていたため、8代将軍吉宗の特別な計らいにより、善久院に「祐天寺」の名を与える形で創建が許可されました。
 将軍家から寄進された堂宇が整えられ、百萬遍講などの念仏講も加わって、祐天寺は江戸でも有数の念仏道場として発展します。しかし明治27年(1894)の火災により本堂などを焼失し大きな危機を迎えますが、明治31年(1898)には境内にあった将軍家の御霊殿を本堂として移設し、増築を加えて復興しました。その後も伽藍の整備が続けられ、平成19〜29年(2007–2017)には免震工事が施され、現在の姿となっています。

祐天寺のアクセス


アクセス
◆所在地
東京都目黒区中目黒5-24-53
◆交通機関
東急東横線「祐天寺駅」徒歩8分

祐天寺の御朱印

祐天寺

祐天寺では上記のような御朱印をいただくことができます!

御朱印情報
授与時間:9:00~17:00
場所:社務所
御朱印代(初穂料):500円
授受形式:直書き
公式サイト公式ホームページ

祐天寺の見どころをご紹介!

祐天寺

山門を通って参拝スタート!

祐天寺

参道を進むと仁王門があります!この仁王門は1735年に江戸幕府第5代将軍徳川綱吉(つなよし)の養女「竹姫(たけひめ)」により寄進されたものです。

祐天寺

仁王門の左手には地蔵堂がありました。1788年に建立されたもので、地蔵菩薩像が中にいらっしゃいます。

祐天寺

右手手前には「子守り地蔵」がいらっしゃいます。子供の百日咳や虫封じなどにご利益があるとされています。

祐天寺

仁王門を抜けてすぐの場所には「累塚」があります。こちらは祐天上人が累(かさね)という女性の怨霊を成仏させた伝説に因みます。歌舞伎をはじめとするさまざまな芸能作品の題材ともなっています。

祐天寺

その隣には鐘楼と梵鐘がありました。こちらは享保14年(1729年)に徳川家宣の正室である天英院から寄進されました。

祐天寺

本堂の前には地蔵菩薩像がありました。この地蔵菩薩像は祐天上人への報恩のため、祐天上人300年御遠忌法要が行われた2017年に奉納されました。

祐天寺

地蔵菩薩像の手前にあるのは「阿弥陀堂」です。仁王門と同じく、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉(つなよし)の養女「竹姫(たけひめ)」により寄進されました。

祐天寺

阿弥陀堂の隣には赤と白の鳥居が連なる境内社がありました。「五社稲荷」と呼ばれる神社で、祐天上人が出家を決意した際に白狐が三声鳴いたと言われており、その白狐を祐天上人の守護神として祀った稲荷神社だそうです。

祐天寺

境内の奥にあるのが本堂です。この本堂は1898年に再建されたものです。

祐天寺

その隣には仏舎利殿がありました。お釈迦様の「舎利(遺骨)」が納められています。

祐天寺

境内の左奥の外れには祐天上人墓がありました。こちらは1724年に造立されたものです。

まとめ

読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる祐天寺にお立ち寄りください!

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