石清水八幡宮とは?
石清水八幡宮は、859年に僧・行教が宇佐八幡宮の神託を受け、京都・男山に創建された神社です。都に近い要地に鎮座することから国家鎮護の社として朝廷の篤い崇敬を受け、伊勢神宮と並び称されました。源氏からも氏神として深く信仰され、源義家が元服した地としても知られています。現在も“やわたのはちまんさん”と親しまれ、多くの参拝者が訪れる歴史ある八幡宮です。
所在地:京都府八幡市八幡高坊30
TEL:075-981-3001
参拝時間:9:00~17:00
御利益と御祭神
石清水八幡宮がお祀りしているのは応神天皇です。
・応神天皇
◆御利益
・厄除け、国家鎮護、開運、勝ち運など
歴史

京都府八幡市・男山に鎮座する石清水八幡宮は、平安時代初期の貞観元年(859年)に創建されました。その起源は、南都大安寺の僧・行教和尚が豊前国(大分県)の宇佐八幡宮にこもり、国家安泰を祈願したことに始まります。行教は八幡大神より「都に近い男山の峯に移り、国家を鎮護しよう」との御託宣を受け、男山に御神霊を奉安しました。これが石清水八幡宮の始まりです。
天慶2年(939年)に起こった平将門・藤原純友の乱の際には、朝廷が八幡大神に戦乱平定を祈願し、その御神威によって乱が鎮められたと信じられました。これ以降、皇室の信仰は一層厚くなり、円融天皇(第64代)以来、天皇や上皇の行幸・御幸は240回以上に及びます。伊勢神宮と並び「二所宗廟」と称されるほど、国家的に重要な神社となりました。
中世に入ると、石清水八幡宮は特に源氏一門から厚い崇敬を受けます。源氏は八幡神を氏神として尊崇し、武神・弓矢の神としての信仰を強めました。源義家が当宮で元服し、「八幡太郎義家」と名乗ったことはよく知られています。義家の祖父・源頼信は、応神天皇を遠祖と仰ぎ、その山陵に願文を奉じました。さらに、前九年の役を平定した源頼義は、戦勝後に鎌倉由比ヶ浜へ石清水八幡宮の御分霊を祀りました。これが後に源頼朝によって鶴岡八幡宮へと発展します。また、河内には壺井八幡宮が創建され、河内源氏三代ゆかりの地として信仰を集めました。こうして、宇佐から石清水、さらに鎌倉へとつながる八幡信仰は全国へ広まり、日本各地に八幡宮が勧請されていきます。
近代に入ると、明治初年に官幣大社に列せられ「男山八幡宮」と改称されましたが、創建以来の由緒ある社号を重んじ、大正7年(1918年)に再び「石清水八幡宮」と改称され、現在に至ります。
石清水八幡宮のアクセス
京都府八幡市八幡高坊30
◆交通機関
京阪電車「石清水八幡宮駅」

石清水八幡宮へは石清水八幡宮駅から徒歩で進むだけでなく、ケーブルカーで向かうこともできます。
石清水八幡宮の御朱印

石清水八幡宮では上記のような御朱印をいただくことができます!

石清水八幡宮では各種御朱印帳などもいただくことができます!
石清水八幡宮の見どころをご紹介!

鳥居をくぐって参拝スタート!

駅から出てすぐのところには「一の鳥居」があります。

一の鳥居の先には「頓宮殿」があります。頓宮殿は年に一度重儀が斎行される社殿です。

頓宮殿から先に進むと右手に「高良神社」という境内社があります。高良神社は貞観3年(861年)に行教によって建立されたと伝わる神社で、徒然草に登場する古社としても知られています。

その先を進むと「二ノ鳥居」があります。ここから山道がスタートします。

参道の途中には「大扉稲荷社」がありました。文政12年(1829年)に創建されたものです。当時、富くじが流行していましたが、この稲荷社に祈った人が、その霊験によって富を得たことが伝わると信者を増やし、その寄進によって建立されました。そのことから宝くじに御利益があるとされています。

その先に進むと、「石清水社・石清水井」があります。霊泉「石清水」が湧き出る創建以前からの聖地です。

山道を登り切ると「三ノ鳥居」を見ることができます。三ノ鳥居の先にあるのが石清水八幡宮です。

三ノ鳥居を通ると「一ッ石」があります。「勝負石」とも呼ばれる勝負必勝・勝運の石です。

その先を進むと手水舎を見ることができます。こちらで参拝前に身を清めていきましょう!

南総門をくぐると社殿に辿り着きます。

社殿は寛永11年(1634)に江戸幕府により造替されたものが現存します。

社殿の周りの石垣は鬼門封じということで、東北の角が切りとられている石垣となっています。

社殿の周りには多くの境内社があります。右奥にあるのが若宮殿社と若宮社です。若宮殿社は男性の守護、若宮社は女性の守護のご利益をいただくことができます。

左奥には廣田社、生田社、長田社が合祀されている社がありました。

その他、エジソン記念碑が境内にはありました。エジソンが白熱電球の実用化に際して、京都・男山周辺の真竹を活用されたそうです。この竹を使用した電球は平均1,000時間以上も輝き続けたといいます。
その後、日本の竹は使われなくなってしまいますが、それまでの十数年間、日本の竹がアメリカの家庭や職場を明るく照らしていました。そのゆかりにより建立されました。

裏手には男山展望台があり、京都の街を一望することができます。
まとめ
読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる石清水八幡宮にお立ち寄りください!


コメント