「神功皇后」とは?日本神話で三韓征伐として有名な神功皇后について解説します!
神功皇后とは?
神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后であり、後に第15代応神天皇の母となる人物です。日本書紀では実名を「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)」と記されています。天皇亡き後にお腹に子を宿しながら国を治め、その子が成長するまで摂政として政治を執ったとされます。
応神天皇
日本の第15代の天皇で仲哀天皇と神功皇后間に生まれた第4皇子です。この時期に大和朝廷の勢力が内外に飛躍的に発展したとされています。名前は誉田別(ほんたわけ)です。三韓征伐の伝説
神功皇后の最も有名な伝承が「三韓征伐(さんかんせいばつ)」です。仲哀天皇が急逝したのち、住吉三神の神託を受けた神功皇后は、お腹に応神天皇を宿したまま朝鮮半島(新羅)への遠征を決行します。出産を遅らせるために石を腰に巻き、神々の加護を受けながら無血開城を成功させたと伝えられています。
別名
- 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
- 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
- 大帯比売命(おおたらしひめのみこと)
御利益(ご利益)
神功皇后は「勝運」「安産」「子育て」「国家安泰」などのご利益があるとされ、武家や庶民を問わず古くから信仰を集めてきました。現代では特に、勝負事・出世運・安産祈願の神様として神社に祀られることが多く、多くの参拝者が訪れます。
御利益
◆御利益・勝運、出世運、安産祈願、国家安泰
神功皇后を祀る神社

福岡県にある香椎宮や京都府の御香宮神社などでお祀りされています。
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