和田神社とは?

和田神社は、蛭子大神が淡路から上陸したと伝わる「蛭子の森」に創建された、兵庫最古の蛭子信仰の地です。平清盛が兵庫津を整備した際に市杵嶋姫大神を祀り、兵庫七弁天の一社として崇敬を集めました。戦災や震災を経ても再建を重ね、今も海上守護と開運の神として多くの参拝客が訪れます。
所在地:兵庫県神⼾市兵庫区和⽥宮通3-2-45
TEL:078-652-1551
参拝時間:9:00~16:00
御利益と御祭神
和田神社がお祀りしているのは天御中主大神、蛭子大神、市杵嶋姫大神です。
・天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
・蛭子大神(ひるこのおおかみ)
・市杵嶋姫大神(いちきしまひめのおおかみ)
◆御利益
・厄除け、無傷無病、金運、商売繁盛、航海安全、芸能上達など
歴史

和田神社は、蛭子大神が淡路からこの地に船を寄せられたことを起源とし、古くから「蛭子の森」と呼ばれ、西摂地方で最も古い蛭子信仰の地と伝わります。西宮神社が海上渡御で和田岬へ向かうのも、この由緒に由来します。
平安時代の承安3年(1173年)、平清盛が兵庫津(大輪田泊)を整備する際に市杵嶋姫大神を祀り、兵庫七弁天の一社として信仰を集めました。江戸時代の寛文2年(1662年)には尼崎城主・青山幸利公の発願で社殿が再建されます。
その後も、影向松に白蛇が現れた霊験(延宝8年・1680年)や、与謝蕪村が訪れて俳諧の会を開いた逸話(明和3年・1766年)など、多くの伝承が残ります。幕末には勝海舟や徳川家茂が来社し、兵庫港防衛の要としても歴史に登場しました。
明治時代には村社から県社へ昇格し、福沢諭吉も参拝しています。明治32年(1899年)の造船所建設に伴い現在地へ遷座。昭和20年(1945年)の空襲で社殿を失いましたが、戦後復興を果たし、昭和32年(1957年)に本殿が再建されました。
平成の時代には阪神淡路大震災で被災しましたが、平成12年(2000年)の御移転100年記念大祭と平成26年(2014年)の平成の大造営によって社殿が修復され、現在も蛭子大神・市杵嶋姫大神を祀る兵庫の総鎮守として厚い信仰を集めています。
和田神社のアクセス
兵庫県神⼾市兵庫区和⽥宮通3-2-45
◆交通機関
・JR和田岬線、神戸市営地下鉄湾岸線「和田岬駅」徒歩2分
和田神社の御朱印

和田神社では上記のような御朱印をいただくことができます。
和田神社の見どころをご紹介!

鳥居をくぐって参拝スタート!

手水舎で身を清めていきましょう!

その向かいには「神田兵右衛門石碑」が!兵右衛門は新川運河の開削工事、十数か所の学校設立、神戸市の初代市会議長、神戸商業会議所の設立など、数々の業績を残した人物です。

境内に入ってすぐにあるのが「高倉稲荷神社」です。京都伏見稲荷神社より勧請されたもので、鮮やかな赤い鳥居が美しい造りとなっています。倉稲魂神(うかのみたまのかみ)をお祀りしています。

「高倉稲荷神社」の隣には立派な神馬がいらっしゃいました!

拝殿は渋い緑色の屋根と正面がガラス張りの造りとなっています。社殿は2014年の大造営によって修復されたものです。

拝殿の近くには弁財天銅像がありました!

境内社として秋葉神社がありました!火を司る忌火産靈神(いみびむすひのかみ)をお祀りしています。毎年「鎮火祭」が行われます。

その隣には「猿田彦社」がありました!道開きの神様として知られている猿田彦神と芸事を司る神様の天宇受賣神(あめのうずめのかみ)が祀られています。

その隣にあるのが「宮比神社」です。大宮能咩神(おおみやのめのかみ)をはじめとして9柱をお祀りしています。

「影向松(ようごのまつ)」があありました!和田神社の使いとして信仰される白蛇がはじめて姿を現した御神木の影向松です。

その松の近くにはかわいい埴輪がありました!

和田神社ではその他、各種おみくじなどいただくことができます!
神戸市内で御朱印をいただける神社

神戸にはその他にも御朱印をいただける神社が多数存在します!神戸市内での御朱印めぐりを楽しんでみてはいかがでしょうか?
まとめ
読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる和田神社にお立ち寄りください!
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