世田谷八幡宮(東京・世田谷区)〜勝運や厄除けのパワースポット!御朱印の情報やご利益、歴史をご紹介します!〜

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世田谷八幡宮ってどんなところ?ご利益は?御朱印の料金、いただける場所、時間など、本記事では実際に世田谷八幡宮に参拝していただいた御朱印、神社の特徴について解説いたします!
 

世田谷八幡宮とは?

世田谷八幡宮

世田谷八幡宮は、平安時代後期の寛治5年(1091)、源義家が戦勝に感謝して宇佐八幡宮の御分霊を勧請したことに始まる古社です。奉納相撲の神事で知られ、現在も境内では伝統の相撲行事が受け継がれています。世田谷の鎮守として勝運や厄除けのご利益を求めて多くの参拝者が訪れます。

基本情報
世田谷八幡宮(せたがやはちまんぐう)
所在地:東京都世田谷区宮坂1-23-20
TEL: 03-3429-1732
参拝時間:9:00~17:00

御利益と御祭神

世田谷八幡宮がお祀りしているのは応神天皇、仲哀天皇、神功皇后です。

御利益・御祭神
◆御祭神
・応神天皇
・仲哀天皇
・神功皇后
◆御利益
・勝運、仕事運、厄除けなど

歴史

世田谷八幡宮

 世田谷八幡宮の歴史は、平安時代後期にまでさかのぼります。御鎮座は寛治5年(1091)、源義家(八幡太郎義家)により創建されたものと伝えられています。
 義家は後三年の役(1087〜1094)において、奥州の清原家衡を平定しました。その戦いの帰途、世田谷の地で豪雨に遭い、しばらく滞在することになります。敬神の念が篤かった義家は、この戦勝が日頃から信仰していた八幡大神の御加護によるものと深く感謝し、豊前国の宇佐八幡宮から御分霊を勧請しこの地にお祀りしました。そして、八幡大神を世田谷の鎮守神として崇めるよう里人に教え、盛大な勧請報賽の祭りを行ったといわれています。この際、士卒に奉祝相撲を取らせたことが、現在まで続く奉納相撲神事の起源とされています。
 その後、戦国時代の天文15年(1546)、世田谷城主・吉良頼康によって社殿が修築されました。この時、社宝として現存する備前雲次作の太刀一振が奉納されたと伝えられています。世田谷八幡宮は吉良氏の祈願所として崇敬され、祭祀は家臣であった大場氏によって執り行われてきました。しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉による関東討伐で吉良氏が滅亡します。翌年、江戸に入城した徳川家康は源氏の流れを汲む人物であったことから、世田谷八幡宮を篤く崇敬したそうです。
 明治維新後の明治5年には「郷社 宇佐神社」と改称されましたが、戦後の社格制度廃止に伴い、史料に基づいて本来の社名である「世田谷八幡宮」に復しました。昭和39年(1964)には社殿が改築され、現在の荘厳な姿となり、今もなお世田谷の鎮守として地域の人々から厚い信仰を集めています。

世田谷八幡宮のアクセス


アクセス
◆所在地
東京都世田谷区宮坂1-23-20
◆交通機関
東急世田谷線「宮の坂駅」徒歩3分、小田急小田急線「豪徳寺駅」徒歩5分

世田谷八幡宮の御朱印

世田谷八幡宮

世田谷八幡宮では上記のような御朱印をいただくことができます!

御朱印情報
授与時間:9:00~17:00
場所:社務所
御朱印代(初穂料):500円
授受形式:直書き
公式サイト公式ホームページ

世田谷八幡宮の見どころをご紹介!

世田谷八幡宮

鳥居をくぐって参拝スタート!

世田谷八幡宮

鳥居をくぐってすぐ右手には境内社である厳島神社がありました!

世田谷八幡宮

厳島神社には大きな池が広がり、たくさんの鯉が泳いでいました。

世田谷八幡宮

参道を進むと二之鳥居を見ることができます。

世田谷八幡宮

社殿の前には手水舎がありました!花がたくさん浮いているとても綺麗な手水舎です!

世田谷八幡宮

奥に佇むのが社殿です!1964年に造営されたものが現存します。

世田谷八幡宮

その目の前には参拝記念のパネルがありました。

世田谷八幡宮

境内の右手にはたくさんの力石が展示されていました!

世田谷八幡宮

境内の右手奥には二つの境内社があります。その一つが「世田谷招魂社」で、日露戦争、太平洋戦争の戦没者をお祀りしています。

世田谷八幡宮

そのさらに右奥には「高良神社」がありました!氏子区域に散祀されていた8社を整理合祀した神社で、高良玉垂命をお祀りしています。

世田谷八幡宮

境内には大きな土俵もありました!ここで行われた奉納相撲は江戸時代には江戸三相撲と呼ばれていました。

世田谷八幡宮

その他、世田谷八幡宮では各種絵馬やおみくじをいただくことができます!

まとめ

読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる世田谷八幡宮にお立ち寄りください!

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