東京都中央区に位置する月島は、もんじゃ焼きの街として全国的に知られています。しかし、この「月島」という美しい名前は、明治時代の東京湾開発と深く結びついています。この記事ではそんな月島が誕生した背景と地名の由来について解説します!
Contents
月島は人工的に造られた島だった
東京湾澪浚計画による埋立地の誕生
月島は、1892年(明治25年)に始まった東京湾澪浚(みおさらい)計画によって誕生しました。澪浚とは、船の航行を妨げる海底の土砂を浚渫(しゅんせつ)する工事のことで、その際に出た大量の土砂を使って、隅田川河口に新たな陸地が造成されました。1891年に月島1号地、1894年には月島2号地が完成し、月島は東京港建設の第一歩となる埋立地でした。
当初の名称は「築島」
造成当初、この土地は人工的に築かれた島であることから、「築島(つきしま)」と呼ばれていました。これは近隣の「築地」と同様、埋立地であることを率直に表した名称でした。
「月島」という名前の由来
三日月のような地形から名付けられた説
築島という実務的な名前は、やがて「月島」へと改められます。その理由のひとつとして有力なのが、島の形が三日月のように見えたという説です。東京湾に浮かぶ弓なりの島影が、月を連想させたと考えられています。
「月の岬」という月見の名所説
もう一つの説として、東京湾内に存在した「月の岬」と呼ばれる月見の名所に由来する、という説もあります。海に映る月が美しく見える場所であったことから、「月島」という風雅な名が選ばれたと伝えられています。いずれにしても、「築島」から「月島」への改称は、無機質な埋立地に情緒を与える意味合いを持っていました。
工業地帯から下町、そして現代へ
近代以降の月島の歩み
埋立当初の月島は工業用地として利用され、運河沿いには工場や倉庫が立ち並びました。1923年の関東大震災では一時孤島状態となるなど、困難な時代も経験しています。その後、木造住宅が密集する下町として発展し、1988年に東京メトロ有楽町線、2000年に都営大江戸線が開業すると、交通の利便性が飛躍的に向上しました。
現在の月島と地名が持つ意味
現在の月島は、高層マンションが立ち並ぶ近代的な街並みと、昔ながらの路地やもんじゃ文化が共存するエリアとなっています。人工的に造られた土地でありながら、「月」という自然や情緒を感じさせる名前を持つ月島は、東京の都市史を象徴する存在と言えます。
まとめ
月島は、明治時代の東京湾開発によって誕生した人工の島で、当初は「築島」と呼ばれていました。その後、三日月のような島の形や、月見の名所「月の岬」にちなみ、情緒ある「月島」という地名が定着します。工業地帯から下町、そして高層住宅が立ち並ぶ街へと姿を変えながらも、月島は時代ごとの東京の歴史を映し続けてきました。


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