東京都目黒区の「目黒」という地名は、古くから知られていながら、その由来がはっきりと定まっていない地名の一つです。先人たちはさまざまな説を唱えてきましたが、いずれも決定打に欠け、現在もなお謎を残す地名として語り継がれています。この記事ではそんな目黒の地名の由来について解説します!
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目黒の地名にまつわる諸説
馬畔(めぐろ)説
もっとも有力とされているのが「馬畔説」です。「め」は馬、「くろ」は畔(あぜ)道を意味し、馬を見回るための畔道=馬畔(めぐろ)から地名が生まれたとする説です。目黒周辺には、駒場・駒沢・上馬・下馬など、馬に由来する地名が多く残っています。関東一帯に馬の牧場が広がっていた時代背景を考えると、この説は比較的妥当とされ、『目黒区史』でも支持されています。
地形説
次に挙げられるのが地形説です。「め」は谷や窪地、「くろ」は嶺(尾根)を意味し、谷と丘陵が入り組んだ地形を表したものが「めぐろ」になったと考えられています。目黒川とその周囲を囲む起伏のある地形は、この説を裏づける要素の一つです。
馬の毛色説
「くろ」を黒馬、「め」を「愛でる(めでる)」の意味と解釈し、優れた黒馬が多く飼われていたことから「愛驪(めぐろ)」と呼ばれたという説もあります。ロマンあふれる説ですが、史料的な裏づけは少なく、伝承の域を出ないとされています。
目黒不動と信仰の地名説
江戸五色不動の一つ「目黒不動」

目黒の地名を語るうえで欠かせないのが、目黒不動尊(瀧泉寺)の存在です。目黒不動は、江戸の守護として配置された「江戸五色不動」の一つで、五色の中でも最も広く知られています。この不動尊があった土地であることから、「目黒」という地名が生まれたとするのが目黒不動説です。
江戸の例外的な「御府内」
江戸時代、目黒は原則として江戸の範囲外に位置していましたが、目黒不動尊の門前町であることから、唯一の例外として御府内(江戸の内)とされました。そのため、目黒は町人町としては発展せず、不動尊を中心とした寺町として栄え、筍の名産地としても知られていました。
歴史に刻まれた「目黒」という名前
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』には、建久元年(1190年)に武蔵武士・目黒彌五郎の名が見え、「目黒」という呼称が少なくとも鎌倉時代まで遡れることがわかります。明治時代に入ると、目黒一帯は公家や旧藩士の邸宅が並ぶ高級住宅地へと姿を変え、現在の落ち着いた住宅街としてのイメージが形づくられていきました。
まとめ
目黒の地名の由来には、馬、地形、不動尊、信仰など、さまざまな説が存在します。いずれも決定的とは言えませんが、それぞれがこの土地の歴史や風景を映し出しています。由来が定まらないからこそ、目黒という地名は、いにしえへの想像とロマンをかき立てる存在なのかもしれません。


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