日本史

平安時代

【以仁王の令旨とは】平氏討伐の号令と源氏再興のきっかけ

平清盛が政権を掌握し「平氏全盛」の時代を築くなかで、朝廷や旧勢力の不満は水面下で高まりつつありました。そんな中、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)が挙兵を促す「令旨(りょうじ)」を全国の源氏に発し、平氏打倒の狼煙をあげました。この動き...
平安時代

【平治の乱とは】信西と藤原信頼、源義朝・平清盛の抗争

室町時代後期、関東で勃発した大規模な内乱――それが「享徳の乱」です。将軍・足利義政の時代、関東では鎌倉公方と関東管領の対立が激化し、長期間にわたる武力衝突へと発展しました。この戦いは約30年続き、関東の支配構造を大きく変えたばかりか、全国的...
平安時代

【藤原純友の乱とは】西国の治安を揺るがせた海賊王

10世紀前半、中央政府の統治がゆらぎ、地方では不満と混乱が高まっていました。そんな中、伊予国(愛媛県)を拠点に藤原純友が海賊たちを率いて蜂起します。彼の反乱は、同時期に起きた平将門の乱と並び、「承平天慶の乱」として歴史に名を刻みました。 藤...
平安時代

【保元の乱とは】天皇家と摂関家の分裂が生んだ内乱

平安時代末期、天皇家の皇位継承争いと、摂関家内部の対立が交差し、ついに武力衝突へと発展しました。それが1156年に起きた「保元の乱」です。この内乱は、後の「平治の乱」や源平合戦につながる大転換点であり、貴族社会から武士社会への移行を象徴する...
平安時代

【白河上皇の院政開始とは】院政制度の成立と王権の変質

平安時代後期、天皇が退位した後も政治の実権を握り続けるという、新たな政治形態「院政」が誕生しました。その最初の実施者が、白河上皇です。この白河上皇の院政開始は、それまでの摂関政治や天皇親政とは異なる、日本独自の統治スタイルを確立し、王権の在...
平安時代

【藤原道長の全盛期】「この世をば我が世とぞ思ふ」政治の実態

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」この歌は、藤原道長が権勢の絶頂期に詠んだことで有名です。平安時代中期、摂関政治が最盛期を迎えた背景には、この道長という人物の非凡な政治手腕と、巧みな皇室との関係構築がありま...
平安時代

【後三条天皇の親政とは】院政への転換点と摂関家の衰退

平安時代中期まで、政治の実権は藤原氏を中心とする摂関家が握っていました。しかし、11世紀後半に即位した後三条天皇は、摂関政治を退けて天皇自ら政治を主導する「親政」を開始しました。この後三条天皇の親政は、やがて白河上皇の院政へとつながる重要な...
平安時代

【安和の変とは】藤原氏による源高明の排斥と摂関体制の完成

安和の変(あんなのへん)は、平安時代中期の安和2年(969年)に発生した政変です。左大臣・源高明が謀反の疑いをかけられ、政界から追放されることで、藤原氏による摂関政治の支配体制が決定的に確立しました。後の日本の政治構造に大きな影響を与えたこ...
平安時代

【延喜・延長の治とは】平安王権の最盛期を築いた醍醐・村上天皇

延喜・延長の治(えんぎ・えんちょうのち)は、10世紀前半に醍醐天皇とその子・村上天皇のもとで行われた政治体制を指す言葉です。この時代、摂政・関白を置かずに天皇自らが政治を行い、律令制度の再建や文化の発展が進みました。平安時代の王権が最も安定...
平安時代

【昌泰の変とは】菅原道真の左遷と怨霊伝説の始まり

平安時代中期、天皇親政のもとで活躍していた学者政治家・菅原道真は、ある日突然、政界を追われて太宰府へ左遷されます。この事件は「昌泰の変(しょうたいのへん)」と呼ばれ、平安貴族社会の権力闘争の一端を示すものとして知られます。また、この左遷のの...