室町時代

【日本史】武田信守とは?父信重の供養と信昌へつないだ甲斐武田氏

武田信守は、甲斐へ帰国した父・武田信重の後を継ぎ、信昌へ武田家をつないだ当主です。1450年に父を失い、1455年には自身も没しました。わずか5年ほどの在位ですが、その間には父を弔う寺を設けた足跡が残っています。信守の時代、甲斐では当主を補...
室町時代

【日本史】武田信重とは?高野山への退避と1438年の帰国、武田家の再興

武田信重は、父の武田信満が上杉禅秀の乱で敗死した後、甲斐を離れた武田氏の当主です。幕府から守護に任じられてもすぐには帰国できず、1438年になって甲斐へ戻りました。しかし帰国後も国内の争いは続き、1450年に没します。守護に任命された人物が...
室町時代

【日本史】武田信満とは?上杉禅秀の乱での敗死と甲斐武田氏の危機

武田信満は、室町時代前期に甲斐守護を務めた武田氏の当主です。父の武田信春から家を継ぎましたが、関東で起こった上杉禅秀の乱に加わり、1417年に追討を受けて自害しました。その敗死は、甲斐の武田家を長い混乱へ導きます。なぜ甲斐の守護が、鎌倉で起...
南北朝時代

【日本史】武田信春とは?千野館と寺院保護、信満へ続く甲斐武田氏

武田信春は、南北朝時代から室町時代にかけて甲斐で活動した武田氏の当主です。父の武田信成から家を受け継ぎ、現在の甲州市塩山に当たる千野を拠点としました。大善寺などへの援助も伝わり、武田家と地域の寺院を結んだ人物として知られます。信春の時代には...
南北朝時代

【日本史】武田信成とは?向嶽寺を支え信春へつないだ甲斐武田氏

武田信成は、南北朝時代の甲斐で活動した武田氏の当主です。父の武田信武が足利氏を支えて得た立場を受け継ぎ、塩山の地を禅僧の抜隊得勝に寄進しました。この援助から、武田家と長く結びつく向嶽寺が生まれます。信玄のような大合戦で知られる人物ではありま...
南北朝時代

【日本史】武田信武とは?足利尊氏を支え甲斐と安芸をつないだ守護

武田信武は、南北朝時代に足利尊氏を支え、甲斐と安芸の守護を務めた武将です。鎌倉時代から続く武田氏の基盤を受け継ぎ、二つの国にまたがる活動によって、後の甲斐武田氏と安芸武田氏につながる流れを作りました。信武の時代は、鎌倉幕府が滅び、新しい武家...
鎌倉時代

【日本史】武田信光とは?石和の拠点と承久の乱で築いた武田氏の基盤

武田信光は、武田信義の子として平安末期に生まれ、鎌倉幕府のもとで武田氏の基盤を築いた武将です。石和を拠点に活動し、承久の乱では幕府方の軍勢を率いました。甲斐に始まった武田氏が、安芸へつながるきっかけを作った人物でもあります。父・信義の家が源...
平安時代

【日本史】武田信義とは?甲斐武田氏の成立と源頼朝との関係を解説

武田信義は、平安時代の末に甲斐源氏を率いて挙兵した武将です。現在の山梨県韮崎市を拠点とし、平氏との戦いで力を示しました。武田八幡宮で元服したという伝承でも知られ、甲斐武田氏の始まりをたどるうえで欠かせない人物です。信義の歩みは、源頼朝に従っ...
鎌倉時代

【日本史】宇都宮頼綱とは?蓮生の生涯と百人一首との関わりを解説

宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)は、下野国の宇都宮氏を率いた鎌倉時代の御家人です。幕府から謀反の疑いをかけられて出家し、蓮生(れんしょう)と名乗りました。その後も幕府への奉仕を続けながら、京都で和歌や仏教に深く関わります。藤原定家に別荘の障...
室町時代

【日本史】土岐成頼とは?応仁の乱から船田合戦と隠居までを解説

土岐成頼(ときしげより)は、室町時代後期の美濃守護です。斎藤氏の支援を受けて土岐家を継ぎ、応仁の乱では西軍に加わりました。京都での戦いを終えて美濃へ戻った後は、将軍家の足利義視を迎え、領国の政治に関わります。しかし晩年には、子の政房と元頼を...