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神武東征とは?
神武東征とは、神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)が九州南部・日向(ひゅうが、現在の宮崎県)を出発し、大和(奈良)へ向かいます。これは「天孫降臨」で地上に降りたニニギノミコトの子孫が、より良い土地を求めて国を平定する旅の物語です。この神話は、日本が神々の意志によって統治される「神の国」であるという思想を表現しており、天皇の正統性を神代にまで遡る根拠となっています。
到達地:大和(奈良県)
日付(記紀の記述):紀元前660年、神武天皇即位
神武東征の原因、なぜ大和を目指したのか?

神武天皇は日向では国を治めるには不便であると判断し、「日が昇る東の地」こそ理想の統治地であると考え、大和への遠征を決意します。ここには、「東征=天照大神の意志に従い、中央集権的な国家を築く」という神意が込められています。神武一行はまず瀬戸内海を船で進み、幾度もの戦いや困難を乗り越えながら進軍します。旅の過程で仲間を失ったり、敵に苦戦するなど、英雄伝的な要素も見られます。
神武東征のエピソード

神武東征の最中に起きたエピソードを3つご紹介します!
熊野の苦戦と霊剣の授与
神武軍は紀伊半島の熊野に入った際、現地の豪族の抵抗に遭い、疲弊してしまいます。ここで登場するのが「高倉下(たかくらじ)」という人物。彼は夢のお告げに従って、神から授かった剣「布都御魂(ふつのみたま)」を神武天皇に献上します。この剣を得たことで神武軍は再び勢いを取り戻します。
八咫烏の導き
熊野から大和へ向かう山中は複雑で困難な道でした。そこで現れたのが、天照大神が遣わした「八咫烏(やたがらす)」という三本足の神の使いのカラス。八咫烏は神武軍を安全に導き、大和へと案内します。これが「導きの象徴」としての八咫烏信仰の由来です。
長髄彦(ながすねひこ)との戦いと兄の死
大和では、すでに地を治めていた豪族・長髄彦との戦いが起こります。この戦で、神武天皇の兄・五瀬命(いつせのみこと)が矢を受けて戦死します。神武は戦術を変え、敵の目に太陽が差し込むように東から西へ向かって攻撃し、勝利を収めます。このように、神武東征には「神の加護」「苦難の克服」「戦術の工夫」といった英雄神話の要素が満載です。
神武東征の結果とその意義
神武天皇は大和を平定し、橿原の地で即位します。これが日本の建国とされ、のちに明治政府はこの即位日を「紀元節(2月11日)」として祝日に制定しました。神武東征は、単なる神話ではなく「日本という国がどのように始まったか」を語る国家神話です。明治以降は皇室の正統性を支える思想的柱として利用され、教育や神社制度にも影響を与えました。
神武東征ゆかりの神社
神武東征の足跡をたどると、日本各地にその痕跡が残されています。以下は特に有名な神社です。
橿原神宮(奈良県橿原市)

神武天皇が即位した地で国家の始まりを象徴する神社です。明治時代に建てられました。
高千穂神社(宮崎県高千穂町)

神武天皇の出発地近くにあり、天孫降臨の地としても知られています。
熊野本宮大社(和歌山県田辺市)

神武軍が苦戦し、霊剣を得た場所と伝わる熊野信仰の中心地です。
まとめ
神武東征は、日本建国神話の中心であり、皇室・神道・国土の起源に関わる重要な物語です。受験においては古代国家成立の流れを押さえる上で欠かせないテーマであり、また、ゆかりの神社を訪れることでその神話世界を肌で感じることもできます。霊剣の登場、八咫烏の導き、兄の戦死というドラマチックな展開が物語を彩り、歴史と神話の橋渡し役となっています。日本文化への理解を深めるうえでも、神武東征は欠かせない物語となっています。
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