福島県会津若松市のシンボルとして親しまれている鶴ヶ城。美しい赤瓦の天守を持つ城として知られていますが、その魅力は見た目の美しさだけではありません。
鶴ヶ城は約600年にわたり会津の歴史を見守り続けてきた名城です。戦国時代には蒲生氏郷によって近世城郭として整備され、江戸時代には会津藩の中心として栄えました。そして幕末の戊辰戦争では、新政府軍との激しい戦いの舞台となります。
この記事では、鶴ヶ城の歴史や見どころ、そして会津の歴史との深い関わりについて分かりやすく紹介します。
築城:1384年頃
有名武将:葦名氏、蒲生氏、加藤氏、保科氏、松平氏
城の種類:平山城
日本100名城:選定
所要時間:約90〜120分
おすすめ度:★★★★★
Contents
鶴ヶ城とは?
鶴ヶ城は、福島県会津若松市にある東北地方を代表する名城です。正式名称は若松城ですが、その優美な姿から「鶴ヶ城」の名で親しまれています。現在の天守は1965年に再建されたものですが、日本で唯一の赤瓦天守として知られ、多くの観光客が訪れる会津のシンボルとなっています。
鶴ヶ城が特に有名なのは、幕末の戊辰戦争における籠城戦です。会津藩は徳川幕府への忠義を貫いたことで新政府軍と対立し、鶴ヶ城は約1か月にわたり激しい攻撃にさらされました。現在の城内には、こうした会津藩の歴史を伝える展示が数多く残されています。鶴ヶ城は単なる観光名所ではありません。戦国時代から幕末に至るまで、会津の歴史を見守り続けてきた「会津の象徴」ともいえる存在です。
また、鶴ヶ城は日本100名城にも指定されています。
鶴ヶ城の歴史

鶴ヶ城の始まりは、至徳元年(1384年)に葦名直盛が黒川の地に東黒川館を築いたこととされています。その後、葦名氏は会津一円を支配する戦国大名へと成長し、黒川城を本拠として勢力を拡大しました。しかし、天正17年(1589年)、伊達政宗が会津へ侵攻し、葦名氏は滅亡しました。
その後、会津には蒲生氏郷が入封しました。氏郷は黒川城を大規模に改修し、近世城郭として整備するとともに城下町を計画的に発展させました。また、地名を「黒川」から「若松」に改め、文禄2年(1593年)には七層ともいわれる壮大な天守を完成させました。さらに総構えを備えた城下町を整備し、現在の会津若松市の基礎を築きました。
蒲生氏の後には上杉景勝が入封しましたが、関ヶ原の戦いの後に米沢へ移されます。その後再び蒲生氏が会津を治めましたが、1627年に加藤嘉明が入封しました。加藤氏は城郭の大改修を行い、加藤明成の時代には地震で損傷した天守を現在と同じ五層の層塔型天守へ改築しました。また、北出丸や西出丸を増築し、現在の鶴ヶ城の姿を完成させました。
1643年には、徳川家光の異母弟である保科正之が会津藩主として入封しました。正之は後に子孫へ徳川家への忠誠を説く「家訓十五条」を残し、会津藩の精神的基盤を築きました。その後、保科家は松平姓を許されて会津松平家となり、幕末まで約220年にわたって会津を治めました。
幕末には9代藩主の松平容保が京都守護職を務め、幕府を支える中心的存在となりました。しかし、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府軍と戦い、鶴ヶ城は約1か月にわたる籠城戦の末に降伏しました。この戦いでは白虎隊の悲劇も起こり、会津戦争は日本史に残る出来事となりました。
明治維新後の1874年に鶴ヶ城は廃城となり、天守をはじめ多くの建物が取り壊されました。しかし、その後保存運動が進められ、1965年に天守が外観復元されました。さらに茶室麟閣や干飯櫓、南走長屋なども復元され、2011年には幕末当時の姿を再現するため、天守の屋根が赤瓦に葺き替えられました。
戊辰戦争と鶴ヶ城

鶴ヶ城を全国的に有名にしたのが、幕末の戊辰戦争です。1868年、新政府軍と旧幕府勢力との戦いが激化する中、会津藩は徳川家への忠義を貫きました。その結果、新政府軍の標的となり、鶴ヶ城は激しい攻撃を受けることになります。
城内には藩士だけでなく、多くの家族や住民も避難していました。激しい砲撃によって建物は大きな被害を受けましたが、会津藩は約1か月にわたって籠城を続けます。最終的に降伏することになりますが、この戦いは会津の人々の誇りや精神を象徴する出来事として語り継がれています。
白虎隊と鶴ヶ城

戊辰戦争を語るうえで欠かせないのが白虎隊です。白虎隊は16〜17歳の少年たちで編成された部隊で、会津藩のために戦いました。
戦いの中で飯盛山へ退却した隊士たちは、煙に包まれた鶴ヶ城を見て落城したと誤認します。そして将来を悲観し、多くの隊士が自刃するという悲劇が起こりました。現在も飯盛山には白虎隊士の墓が残され、多くの人が訪れています。
鶴ヶ城のアクセス
福島県会津若松市追手町1-1
◆交通機関
JR「会津若松駅」よりバスで10分
御城印

鶴ヶ城では上記のような御城印をいただくことができます!

その他、別名である会津若松城の文字が刻まれ、赤べこが描かれた御城印などもいただくことができます。
鶴ヶ城の見どころ紹介!
天守閣

鶴ヶ城最大の見どころが天守閣です。赤瓦の天守となっており、この瓦は幕末当時の瓦を再現したもので、全国的にも珍しい存在として知られています。春の桜や冬の雪景色との相性も抜群です。
また、天守内部には会津の歴史や歴代城主、戊辰戦争に関する資料が展示されています。
茶室麟閣

茶室麟閣は、豊臣秀吉に仕えた千利休の子・少庵ゆかりの茶室です。城内でも落ち着いた雰囲気を楽しめる人気スポットとなっています。茶室麟閣では少庵を偲びながらお抹茶も楽しむこともできます!
武者走り

鶴ヶ城の裏側にあるのがV字型の武者走りです。V字型になっているのは全国的に見ても珍しく鶴ヶ城の特色の一つです。昇降するための階段が張り出さないように、石垣に並行して取り付けられています。
まとめ
鶴ヶ城は、戦国時代から幕末にかけて会津の歴史を支えてきた名城です。蒲生氏郷による城郭整備、会津松平家による藩政、そして戊辰戦争や白虎隊の悲劇など、その歴史は会津そのものの歩みと深く結びついています。
現在は美しい赤瓦の天守や桜の名所として親しまれていますが、その背景には数多くの人々が守り続けてきた歴史があります。会津若松を訪れる際は、ぜひ鶴ヶ城を歩きながら、会津の歴史と文化に触れてみてください。

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