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日本武尊の概要
日本武尊は、第12代景行天皇の皇子とされ、『古事記』『日本書紀』の両方にその活躍が記されています。その名には「日本を代表する武人」という意味が込められており、実際、幼少期から類まれな武勇を発揮し、数々の敵を打ち破っていきます。一方で、父である景行天皇からは過酷な任務ばかりを命じられ、その中で次第に心身をすり減らしていきます。その結果、戦いに勝ち続けながらも、ついには若くして命を落とすという、神話における悲劇的英雄として描かれています。
日本神話におけるエピソード
熊襲討伐:少年時代の勇気と変装の知恵
幼少期、日本武尊は「倭建命(やまとたけるのみこと)」という名を名乗っていました。最初に与えられた任務は、西国に勢力を持つ「熊襲(くまそ)」の討伐。わずか十代半ばにして兄の仇討ちのため、女装して敵陣に潜入し、主将を討ち取るという機転と武勇を見せつけました。このとき敵将は、「まさに日本一の勇者だ」と言い残し、日本武尊の名が定まったとされています。
東征:火攻めと草薙剣の神話
続いて命じられたのは、関東・東国への遠征です。道中、敵の策略で火攻めに遭いますが、その際、草薙剣(くさなぎのつるぎ/のちの三種の神器の一つ)と火打ち石を使って難を逃れたという伝説が残されています。この草薙剣は、熱田神宮(名古屋市)に祀られることとなる神宝です。また、相模から甲斐、信濃、尾張へと向かう途上でも各地の豪族を平定し、旅の軌跡そのものが日本列島の統一神話と重ねられていきます。
白鳥伝説:死後も神として空を舞う
尾張国での戦の後、日本武尊は伊吹山の神に挑もうとしますが、武器である草薙剣を置いてきてしまったことで返り討ちに遭い、病に倒れてしまいます。伊勢にたどり着いたときにはすでに死の間際。やがて彼は息絶え、その魂は白鳥となって空へと舞い上がったと語られています。この「白鳥伝説」によって、日本武尊は死後も神として崇められる存在となり、後の時代に「白鳥神社」など多くの神社に祀られることになります。
別名
- 倭建命(やまとたけるのみこと)
- 小碓命(おうすのみこと)
御利益(ご利益)
日本武尊はその生涯を通して数々の困難に打ち勝ったことから、以下のようなご利益があるとされています。
・勝負運、武運長久、厄除け、除災招福、国家安泰など
日本武尊を祀る神社

埼玉県の三峯神社や全国各地の三峯神社、白鳥神社などでお祀りされています。
- 三峯神社(埼玉県秩父市)
- 全国各地の三峯神社
- 甲斐酒折宮(山梨県甲府市)
- 全国各地の白鳥神社
- 草薙神社(静岡県静岡市)
- 鳥出神社(三重県四日市市)
- 能褒野神社(三重県亀山市)
- 八剣神社(福岡県鞍手郡)
- 岩爪神社(宮崎県西都市)
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