南北朝時代

【日本史】武蔵野合戦とは?新田義興・義宗と足利尊氏が争った1352年の戦い

武蔵野合戦は、南北朝時代の1352年に関東で起きた一連の戦いです。新田義興・義宗ら南朝方が鎌倉を占め、足利尊氏の軍勢と武蔵国の各地で争いました。戦場は一か所に限らず、現在の東京西部から埼玉県南部にかけて広がりました。南朝方は一時、関東の政治...
平安時代

【日本史】醍醐天皇とは?延喜の治と菅原道真左遷・国風文化を解説

醍醐天皇は、宇多天皇の譲位を受けて即位し、摂政・関白を置かずに政務を進めたことで「延喜の治」と結びつけられる第60代天皇です。治世には『古今和歌集』の撰進や『延喜式』の編纂が始まり、政治制度と国風文化の両面で後世に大きな影響を残しました。一...
平安時代

【日本史】藤原基経とは?初の関白となった生涯と阿衡の紛議を解説

藤原基経は、藤原良房の養子として摂政を継ぎ、成人した天皇を補佐する関白の先例を築いた平安時代前期の公卿です。清和・陽成・光孝・宇多の四代に仕え、皇位継承が不安定になった時期に朝廷の中心で政務を担いました。宇多天皇の即位後には、関白任命の詔に...
平安時代

【日本史】藤原良房とは?摂政となった生涯と承和の変・応天門の変を解説

藤原良房は、平安時代前期に藤原北家の勢力を大きく伸ばし、皇族以外で初めて摂政となった人物です。父・藤原冬嗣が築いた政治基盤を受け継ぎ、娘を文徳天皇の后とし、外孫の清和天皇を支える立場から朝廷の中枢を担いました。良房の時代には承和の変と応天門...
平安時代

【日本史】藤原冬嗣とは?蔵人頭として嵯峨天皇を支えた生涯と勧学院を解説

藤原冬嗣は、平安時代初期に嵯峨天皇の信任を受け、蔵人頭から左大臣へ進んだ藤原北家の公卿です。天皇の機密文書や伝奏を扱う蔵人所の初代長官となり、律令の官職だけでは処理しにくくなった宮廷実務を支えました。冬嗣は一族の教育機関である勧学院を設け、...
平安時代

【日本史】不輸・不入の権とは?荘園の税免除と国司の立入拒否を解説

不輸・不入の権とは、平安時代の荘園に認められた租税免除と国衙の使者の立入拒否に関する特権です。不輸は税を納めない権利、不入は検田使や徴税使などの立入りを拒む権利を指しますが、どの荘園にも同じ内容で自動的に与えられたわけではありません。荘園領...
平安時代

【日本史】国衙領とは?荘園との違いと中世の土地支配をわかりやすく解説

国衙領(こくがりょう)とは、平安時代中期以降、国司が率いる国衙の支配下に置かれた土地です。中世の土地は貴族や寺社の私的な所領である荘園だけで構成されていたわけではなく、国衙が租税を徴収する公領も各地に広く存在しました。国衙領は、律令国家の土...
室町時代

【日本史】結城合戦とは?足利持氏の遺児を擁した結城氏の戦いを解説

結城合戦(ゆうきかっせん)は、永享12年(1440)から嘉吉元年(1441)にかけて、下総国の結城城を中心に行われた戦いです。永享の乱で自害した鎌倉公方・足利持氏の遺児を結城氏朝が擁立し、室町幕府と関東管領上杉氏に対して挙兵しました。結城城...
室町時代

【日本史】御霊合戦とは?応仁の乱の始まりとなった畠山氏の戦いを解説

御霊合戦(ごりょうかっせん)は、文正2年(1467)1月、京都の上御霊神社周辺で畠山義就と畠山政長が戦った合戦です。畠山氏の家督をめぐる争いが武力衝突へ発展し、11年間続く応仁の乱の最初の戦いと位置づけられています。戦場では義就方が勝利しま...
南北朝時代

【日本史】青野原の戦いとは?北畠顕家と足利軍の激戦を解説

青野原の戦いは、延元3年・暦応元年(1338)1月、美濃国青野原で北畠顕家が率いる南朝方の奥州軍と、土岐頼遠ら足利方の軍勢が衝突した合戦です。顕家は後醍醐天皇の命を受け、足利尊氏の勢力を京都から退けるため、義良親王を奉じて奥州から西へ進んで...