善光寺とは?
善光寺は、長野県長野市にある、約1400年の歴史を持つと伝えられる古刹です。日本最古の仏像と伝わる「一光三尊阿弥陀如来」を本尊とし、古くから宗派を問わず多くの人々の信仰を集めてきました。「一生に一度は善光寺参り」といわれるほど親しまれ、国宝に指定された本堂をはじめ、歴史ある建造物や数多くの見どころが残る、日本を代表する寺院の一つです。
所在地:長野県長野市大字長野元善町491-イ
TEL:026-234-3591
参拝時間:4:30~16:30
御利益と御本尊
善光寺がお祀りしているのは一光三尊阿弥陀如来です。
・一光三尊阿弥陀如来
◆御利益
・極楽往生、所願成就など
歴史

善光寺は、長野県長野市にある古刹で、日本最古の仏像と伝わる「一光三尊阿弥陀如来」を本尊とする寺院です。正確な創建年代は明らかではありませんが、その起源は飛鳥時代にまでさかのぼると伝えられています。
『善光寺縁起』によると、本尊の阿弥陀如来像は古代インドで造られ、朝鮮半島の百済を経て、欽明天皇13年(552年)に日本へ伝えられたとされています。当時は仏教の受容をめぐって蘇我氏と物部氏が対立しており、仏教に反対する物部氏によって尊像は難波の堀江に捨てられました。しかし、後に信濃国の本田善光が尊像を拾い上げ、故郷へ持ち帰って祀ったことが善光寺の始まりと伝えられています。
実際の創建時期については諸説あり、地元の豪族である金刺氏が寺院の建立に関わったという説もあります。平安時代には善光寺の名が文献に登場するようになり、阿弥陀如来の救済を願う信仰が次第に広まっていきました。
鎌倉時代になると、善光寺は武士たちからも篤く信仰されるようになります。治承3年(1179年)の火災で被害を受けましたが、文治3年(1187年)には源頼朝が再建を命じ、建久8年(1197年)には自ら参詣したと伝えられています。その後も北条氏など鎌倉幕府の有力者が再建を支援し、善光寺信仰は全国へと広がりました。
戦国時代には、北信濃をめぐる武田信玄と上杉謙信の争いに巻き込まれ、寺院は荒廃しました。この時期、善光寺の本尊は甲斐国へ移されたとされ、武田信玄が甲府に建立した甲斐善光寺にもその歴史が残されています。その後、本尊は織田氏や徳川氏の支配地域などを転々とし、豊臣秀吉によって京都の方広寺へ移されましたが、慶長3年(1598年)に信濃へ戻されました。
江戸時代になると善光寺参りが庶民の間にも広まり、全国から多くの参拝者が訪れるようになります。寺院の再建や門前町の発展も進み、宝永4年(1707年)には現在の本堂が再建されました。また、「牛に引かれて善光寺参り」という説話も広く知られるようになり、善光寺は誰もが救いを求めて参拝できる寺院として親しまれました。
弘化4年(1847年)には善光寺地震によって門前町が大きな被害を受けましたが、本堂や山門などは焼失を免れました。明治時代以降も多くの参拝者を迎え、現在では国宝の本堂や重要文化財の山門・経蔵などが残されています。
善光寺のアクセス
長野県長野市大字長野元善町491-イ
◆交通機関
上信越道「長野IC」より20分、「須坂長野東IC」より20分 、JR長野駅善光寺口1番バスのりば「善光寺方面行き」路線バスで15分
善光寺の御朱印

善光寺では上記のような御朱印をいただくことができます!

また、各種御朱印帳をいただくこともできます。上記の御朱印帳は鳩字で善光寺の文字が描かれた御朱印帳です!善光寺の三文字の中に鳩の姿が五羽隠されていることから鳩字と呼ばれています。
善光寺の見どころをご紹介!

参拝スタート!

参道を進むと左手に見えるのが「六地蔵」です。宝暦9年(1759年)に造立されましたが、昭和19年(1944年)に戦時中の金属供出によって失われ、昭和29年(1954年)に再興されました。六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で苦しむ人々を救うとされる菩薩です。

その隣にいらっしゃるのが「ぬれ仏」です。享保7年(1722年)に法誉円信が全国から寄付を募って造立した延命地蔵です。江戸の大火にまつわる八百屋お七の霊を慰めるために建てられたという伝承があり、火災を防ぐ「火伏せ」の願いを込めて「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。

参道を進むと見えてくるのが手水舎です。こちらで身を清めていきましょう。

そこから目の前に見えるのが山門です。山門は江戸時代中期の寛延三年(1750)に建立されたもので、平成十九年(2007)に修復工事を受けたものが現存します。ここを通って本堂へ向かいます。

山門をくぐって目の前に見えるのが本堂です。善光寺は創建以来十数度もの大火に遭いましたが、そのたびに信徒の方々によって復興されてきました。
現在の本堂は宝永四年(1707)に再建されたもので、江戸時代中期を代表する仏教建築として昭和二十八年(1953)に国宝に指定されています。

本堂を正面に見て右手には「鐘楼」があります。
嘉永6年(1853年)に再建された鐘楼は、「南無阿弥陀仏」の六文字にちなみ、六本の柱で支えられています。寛文7年(1667年)に再鋳造された梵鐘は重要美術品に指定され、1998年の長野冬季オリンピックでは開会を告げた鐘としても知られています。

本堂を正面に見て左手には「親鸞聖人」の像がありました。
鎌倉時代、浄土真宗の開祖・親鸞聖人が越後から東国へ向かう途中、善光寺に参拝し、善光寺如来に松の枝を供えたと伝えられています。この故事にちなみ、現在も本堂の外陣(げじん:参拝者が礼拝する場所)に置かれた大きな花瓶には、「親鸞聖人お花松」と呼ばれる松の若木が絶えず供えられています。

境内の左側にも数多くの施設が存在します。そのうちの一つが「経蔵」です。宝暦九年(1759)に建立された五間四方宝形造りのお堂です。江戸時代を代表する経蔵建築として重要文化財に指定されています。
建物の内部中央には、高さ約6m、重さ約5tの八角形の巨大な「輪蔵(りんぞう)」が設けられています。内部には仏教の経典を集めた鉄眼黄檗版『一切経』全6,771巻が収められており、輪蔵を時計回りに一周回すことで、すべての経典を読んだのと同じ功徳が得られると伝えられています。

善光寺の天台宗を統括する「大勧進(だいかんじん)」があります。住職は「貫主(かんす)」と呼ばれ、大本願の住職とともに善光寺の住職を兼ねています。毎朝、本堂で行われる「お朝事(あさじ)」と呼ばれる法要では、儀式を執り行う中心的な僧侶「導師(どうし)」を務めています。
境内には万善堂や不動堂、宝物館などがあり、歴代天皇が滞在した奥書院は、昭和8年(1933年)に「行在所(あんざいしょ)」と呼ばれる天皇の一時的な滞在施設に指定されました。
まとめ
読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる善光寺にお立ち寄りください!


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