山形県山形市の中心部に広がる「霞城公園(かじょうこうえん)」春には桜の名所として多くの人で賑わいますが、実はここが東北最大級の規模を誇った名城「山形城」の跡地であることをご存じでしょうか。
現在は天守こそ残っていません。しかし、広大な堀や復元された城門、そして戦国武将・最上義光(もがみよしあき)が築き上げた歴史を知ると、山形城が東北を代表する名城だったことが見えてきます。この記事では、山形城の歴史や見どころ、散策のポイントを初心者にも分かりやすく紹介します!
築城:1356年頃
有名武将:最上義光
城の種類:輪郭式平城
おすすめ季節:春・秋
所要時間:約60〜90分
おすすめ度:★★★★☆
Contents
山形城とは?
山形城は、現在の山形県山形市に築かれた東北地方を代表する名城です。別名「霞城(かじょう)」とも呼ばれ、日本100名城にも選定されています。現在は霞城公園として整備されているため、一見すると大きな公園のように見えます。しかし、この場所にはかつて東北最大級ともいわれる巨大な城郭が存在していました。
城の起源は14世紀にさかのぼり、室町時代に斯波兼頼によって築かれたと伝えられています。その後、最上氏の本拠地として発展し、戦国時代には最上義光によって大規模な改修が行われました。最盛期の山形城は東西約1.5km、南北約850mという広大な規模を誇り、東北地方でも有数の城郭として知られていました。
また、春には約1,500本の桜が咲き誇り、霞城公園は山形県を代表する花見スポットとしても人気を集めています。歴史好きだけでなく、散策や写真撮影を楽しみたい人にもおすすめの城跡です。
山形城の歴史

山形城の歴史は、南北朝時代の延文2年(1357)に始まります。前年に羽州探題として出羽国へ入った斯波兼頼が築城したのが山形城でした。城が築かれた場所は、羽州街道と笹谷峠を結ぶ交通の要衝でした。その後、兼頼の子孫は最上氏を名乗り、山形城は約250年にわたって最上氏の本拠地となりました。
山形城を大きく発展させたのが、戦国時代の名将・最上義光(もがみよしあき)です。義光は内紛や周辺勢力との争いを乗り越えながら勢力を拡大し、やがて現在の山形県内陸部をほぼ支配するまでになりました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは徳川家康率いる東軍に味方し、「北の関ヶ原」とも呼ばれる慶長出羽合戦に参戦します。上杉景勝の重臣・直江兼続が率いる大軍が山形へ侵攻し、支城の長谷堂城を激しく攻め立てましたが、最上軍はこれを守り抜きました。関ヶ原本戦で東軍が勝利したことで上杉軍は撤退し、義光は戦後57万石の大大名へと躍進します。この頃の山形城は大規模な拡張工事が行われ、三の丸の整備や家臣屋敷の配置、城下町の開発が進められました。現在の山形市中心部の町割りの多くは、この時代に形づくられたとされています。
しかし元和8年(1622)に最上氏が改易されると、山形城は鳥居忠政の居城となります。その後は藩主の交代が相次ぎ、城の規模は徐々に縮小していきました。江戸時代中期には二の丸や三の丸の建物が取り払われるなど、かつての巨大城郭は少しずつ姿を変えていきます。
明治維新後には陸軍の駐屯地となり、多くの櫓や御殿が取り壊されましたが、昭和61年(1986)に国の史跡に指定されたことで保存と復元が進められました。現在見られる東大手門や本丸一文字門は、その成果のひとつです。
なぜ「霞城」と呼ばれるのか?

山形城には「霞城(かじょう)」という美しい別名があります。由来には諸説ありますが、「慶長出羽合戦」において山形城の城郭が霞で隠れて見えなかったことから、「霞城(かじょう)」もしくは「霞ヶ城」と呼ばれました。
現在でも城跡は霞城公園として整備され、市民や観光客から親しまれています。桜の季節になると堀沿いに咲く花々が城跡を彩り、その景観はまさに「霞城」の名にふさわしい美しさです。
山形城を語るうえで欠かせない最上義光

山形城最大のキーパーソンが、戦国大名・最上義光です。義光は伊達政宗と同時代を生きた武将であり、山形を拠点に勢力を拡大しました。
周囲には伊達氏や上杉氏といった強大な勢力が存在していましたが、巧みな外交と軍略によって生き残り、最終的には57万石を領する東北有数の大名へと成長します。
その政治と軍事の中心となったのが山形城でした。現在の城跡を歩くと、義光が東北の覇権を目指した時代のスケール感を感じることができます。
山形城跡地のアクセス
山形市霞城町1-7
◆交通機関
JR「山形駅」徒歩10分
御城印

山形城では上記のような御城印をいただくことができます!御城印には最上義光が馬に乗っている姿が描かれています!
山形城の見どころ紹介!
本丸一文字門

山形城の本丸の大手にあたるのが「本丸一文字門」です。本丸一文字門は、枡形と呼ばれる広場を中心に、一文字櫓、櫓門、高麗門、枡形土塀及び石垣で構成された枡形門で、進路を屈曲させることで、敵の進入を食い止める役目がありました。
発掘調査や史料をもとに復元された門で、秋元氏時代の粕川家絵図や発掘調査の結果等に基づき実施されました。
二ノ丸東大手門

「二ノ丸東大手門」は、山形城の正面玄関ともいうべき重要な門です。現在の門は江戸時代中期の資料をもとに平成3年に復原されたものです。
最上氏時代の東大手門は、外枡形と呼ばれる堀に張り出す形式でしたが、二ノ丸を拡張する改修工事によって、現在の内枡形という形式になりました。江戸時代に移りゆくにつれて、防御力を求められた戦乱の世から、太平の世では藩主の威厳を民衆に広く示す役割を担いました。
最上義光像

広場の真ん中には馬に乗った「最上義光像」があります。この像は、長谷堂合戦の追撃戦において指揮棒を持ち陣頭指揮を執っている姿を描いたもので、今にも動き出しそうな躍動感のある銅像となっています。
最上義光歴史館

公園内には「最上義光歴史館」があります。「最上義光公所用三十八間金覆輪筋兜」をはじめとする遺品が数多く展示されています。最上義光の生涯や山形城に関する豊富な情報が展示され、その歴史を学ぶことができます。また、山形城の御城印もこちらでいただくことができます。
まとめ
山形城は、東北最大級の規模を誇った名城です。天守は残っていませんが、
- 最上義光ゆかりの歴史
- 圧倒的なスケールの堀
- 復元された本丸一文字門
- 美しい霞城公園の桜
など見どころが豊富です。
山形観光を計画しているなら、ぜひ一度足を運んでみてください! 実際に歩くことで、東北の歴史を支えた名城の大きさと魅力を体感できるはずです。


コメント