小田原城(神奈川)見どころ完全ガイド|なぜ”難攻不落の城”と呼ばれたのか?

御城印

神奈川県小田原市のシンボルとして親しまれている小田原城。美しい天守や桜の名所として知られていますが、その歴史をひも解くと、戦国時代の関東を支配した北条氏の本拠地として栄えた「難攻不落の名城」であったことが見えてきます。

実際、小田原城は上杉謙信や武田信玄といった名だたる戦国武将の攻撃を退け、関東屈指の堅城として恐れられました。この記事では、小田原城の歴史や見どころ、訪れた際にぜひチェックしたいスポットをわかりやすく紹介します!

3秒で分かる小田原城
特徴:難攻不落の巨大城郭
築城:15世紀中頃
有名武将:後北条氏、大久保氏など
城の種類:平山城
おすすめ季節:春・秋
所要時間:約90〜120分
おすすめ度:★★★★★

小田原城とは?

小田原城は神奈川県小田原市に築かれた平山城で、戦国時代には後北条氏の本拠地として関東最大級の勢力を支えました。現在見ることができる天守は復興天守ですが、城内には石垣や堀、門などが整備されており、往時の面影を感じることができます。

特に小田原城が有名なのは、その圧倒的な防御力です。

戦国時代の小田原城は本丸だけでなく城下町全体を巨大な堀や土塁で囲む「総構(そうがまえ)」によって守られていました。その規模は全長約9kmにも及び、日本最大級の城郭防衛システムだったといわれています。まさに小田原城は、関東支配の中心となった巨大要塞だったのです。

小田原城の歴史

小田原城

 小田原城は戦国時代には後北条氏五代の本拠地として栄えた関東屈指の名城です。その歴史は室町時代にまで遡り、関東地方の政治・軍事の中心として重要な役割を果たしてきました。 
 小田原城の前身は、15世紀中頃に西相模へ進出した大森氏によって築かれた城郭であると考えられています。その後、明応年間に伊勢盛時(北条早雲)が大森氏から小田原城を奪取し、後北条氏の支配が始まりました。以来、後北条氏五代の居城となり、関東支配の中心拠点として大きく発展しました。
 16世紀には上杉謙信や武田信玄の侵攻を受けましたが、小田原城は堅固な防御力によってこれらを退けました。後北条氏は城の大規模な改修を重ね、三の丸や外郭を拡張するとともに、豊臣秀吉との決戦に備えて城下町や周辺集落を取り込む「総構」を築きました。この総構は総延長約9キロメートルにも及び、日本最大級の城郭防御施設として知られています。
 しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が行われました。秀吉は石垣山一夜城を築いて小田原城を包囲し、周辺の支城を次々と攻略しました。約3か月に及ぶ籠城戦の末、後北条氏は降伏して滅亡しました。この戦いは戦国時代終結の大きな転機となり、豊臣秀吉による全国統一の完成につながりました。
 北条氏滅亡後、小田原城には徳川家康の家臣である大久保忠世が入城し、近世城郭への改修が進められました。その後、一時的に幕府直轄領となりましたが、1632年に稲葉正勝が入封すると城の再整備が行われ、近世城郭としての姿が整えられました。1686年には再び大久保氏が藩主となり、以後明治維新まで小田原藩の中心として機能しました。また、小田原城は東海道の要衝に位置し、箱根関所を控える関東防衛の重要な拠点でもありました。
 明治維新後の1870年に小田原城は廃城となり、多くの建物が解体されました。さらに1923年の関東大震災によって石垣なども大きな被害を受け、江戸時代の城郭の多くが失われました。しかし昭和以降、復興事業が進められ、1934年に隅櫓、1960年には天守閣が再建されました。その後も常盤木門、銅門、馬出門などが復元され、現在は国の史跡として保存・公開されています。

なぜ小田原城は難攻不落だったのか?

小田原城

小田原城が難攻不落と呼ばれた理由は、巨大な防御施設「総構」にあります。総構とは、城だけでなく城下町ごと土塁や堀で囲んでしまう防御方式です。小田原城の場合、その規模は約9kmにも及びました。

敵軍は本丸へ到達する前に広大な空堀や土塁を突破しなければならず、補給線も長くなるため長期戦を強いられます。さらに城下町には多くの兵や物資が集められていたため、籠城戦にも非常に強い構造でした。まさに戦国時代最高レベルの防御システムだったのです。

小田原城を居城とした後北条氏五代

小田原城
北条早雲

小田原城の名を全国に知らしめたのが、戦国大名・後北条氏です。初代・北条早雲(伊勢宗瑞)が小田原城を奪取して以降、約100年にわたり後北条氏はこの城を本拠地として関東を支配しました。

後北条氏は、

  • 初代 北条早雲
  • 二代 北条氏綱
  • 三代 北条氏康
  • 四代 北条氏政
  • 五代 北条氏直

の五代にわたって勢力を拡大し、最盛期には相模・武蔵・伊豆・上野・下総など関東の広い地域を支配しました。特に三代当主・北条氏康は優れた政治手腕と軍事力によって勢力を飛躍的に伸ばし、後北条氏黄金時代を築いた人物として知られています。その本拠地であった小田原城もまた、代を重ねるごとに拡張され、戦国時代屈指の巨大城郭へと発展していきました。

現在の小田原城は、単なる観光名所ではありません。関東を支配した後北条氏五代の歴史が刻まれた、まさに戦国時代を象徴する城なのです。

豊臣秀吉はどう攻略したのか

小田原城
石垣山一夜城跡

上杉謙信や武田信玄でさえ落とせなかった小田原城。しかし、天正18年(1590)、豊臣秀吉は約20万ともいわれる大軍を率いて小田原城を包囲しました。

秀吉は力攻めではなく、兵力と物量を活かした長期包囲戦を選びます。さらに、小田原城を見下ろす場所に「石垣山一夜城」を築き、北条氏に心理的な圧力をかけました。

補給路を断たれた北条方は約3か月にわたって籠城を続けましたが、最終的に五代当主・北条氏直が降伏。こうして約100年続いた後北条氏は滅亡し、小田原城は開城されました。小田原城は戦国屈指の堅城だったからこそ、秀吉は圧倒的な兵力と包囲戦によって攻略したのです。

小田原城のアクセス

アクセス
◆所在地
〒250-0014 神奈川県小田原市城内6-1
◆交通機関
JR、小田急線「小田原駅」徒歩10分

御城印

小田原城

小田原城では上記のような御城印をいただくことができます!

小田原城

季節ごとの特別御城印などもいただくことができます。

小田原城の見どころ紹介!

天守閣

小田原城
天守閣

小田原城のシンボルで、最上階からは相模湾や箱根の山々を一望できます。内部は歴史資料館となっており、後北条氏の歴史を学ぶことができます。

常盤木門

小田原城
常盤木門

常盤木門は、小田原城本丸の正門として築かれた重要な門です。現在見られる建物は復元されたものですが、その重厚な姿からは戦国時代の雰囲気を感じることができます。

本丸へ入るためには、この常盤木門を通らなければなりませんでした。そのため敵の侵入を防ぐ重要な防衛拠点でもあり、門の周囲には石垣や狭い通路が設けられています。実際に歩いてみると、敵が簡単に進入できないよう工夫されていることがよく分かります。

現在は小田原城を代表する撮影スポットのひとつとなっており、天守閣とあわせて見学したい見どころです。

報徳二宮神社

報徳二宮神社
報徳二宮神社

報徳二宮神社は小田原城址内に位置し、農政家・思想家である二宮尊徳を御祭神としてお祀りしている神社です。学問や努力、勤勉の象徴として知られる二宮尊徳にちなんで、学業成就や仕事運向上を願う参拝者も多く訪れます。

初めて訪れる方はぜひコチラの記事もチェックしてみてください!報徳二宮神社のご利益やアクセス、見どころなどをご紹介します!

まとめ

小田原城は、戦国時代に関東を支配した後北条氏五代の本拠地として発展した名城です。上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐え抜いたことから「難攻不落の城」と呼ばれ、その強さを支えた総構は日本最大級の防御施設として知られています。

現在は美しい天守閣や常盤木門、城下を見渡せる展望スポットが整備されており、歴史好きはもちろん城巡り初心者でも楽しめる観光地となっています。小田原城を歩けば、後北条氏が約100年にわたって関東を支配した理由や、戦国時代を代表する巨大城郭のスケールを肌で感じることができるでしょう

神奈川を訪れる際は、ぜひ一度「難攻不落の名城」の魅力を体感してみてください。

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