難波神社とは?
難波神社は大阪府大阪市中央区に鎮座する、仁徳天皇を祀る古社です。反正天皇の時代に創建されたと伝えられ、かつては「平野神社」と呼ばれていました。豊臣秀吉による大坂城築城に伴って現在地へ移され、江戸時代には地域の人々から信仰を集めました。第二次世界大戦の大阪大空襲で社殿を焼失しましたが、昭和49年(1974年)に再建され、現在も大阪の歴史を伝える神社として親しまれています。
所在地:大阪府大阪市中央区博労町4-1-3
TEL:06-6251-8000
参拝時間:7:00~18:00

大阪には他にも寺社仏閣めぐりができる場所がたくさんあります。気になる方はこちらの記事を参考に、寺社仏閣めぐりや旅行を楽しんでみてください!
御利益と御祭神
歴史

難波神社は、大阪府大阪市中央区に鎮座する神社で、第16代仁徳天皇を祭神として祀る古社です。
創建年代は明らかではありませんが、社伝によると、第18代反正天皇が河内国の丹比柴籬宮(現在の大阪府松原市付近)に都を置いた際、父である仁徳天皇を祀ったことが始まりとされています。
平安時代の天慶6年(943年)には「平野郷」と呼ばれる場所へ遷座し、「平野神社」と称するようになりました。この平野郷については、現在の大阪市平野区と天王寺区上本町の二つの説があり、正確な場所は明らかではありません。
安土桃山時代になると、豊臣秀吉による大坂城築城と城下町の整備に伴い、神社は再び移転することになります。しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、江戸幕府によって境内地の大部分が没収されました。これにより神社の規模は大きく縮小しましたが、その後も地域の人々の信仰を受けながら存続しました。
明治時代には府社に列せられ、地域の重要な神社として位置づけられました。しかし、昭和20年(1945年)の大阪大空襲によって社殿は全焼し、長く仮宮で祭祀が続けられることになります。
戦後の復興を経て、昭和49年(1974年)7月に現在の社殿が再建されました。難波神社は、仁徳天皇を祀る古代の創建伝承から、豊臣秀吉による大坂の都市整備、戦災と復興まで、大阪の歴史とともに歩んできた神社です。
難波神社のアクセス
大阪府大阪市中央区博労町4-1-3
◆交通機関
大阪メトロ御堂筋線「心斎橋駅」、「本町駅」徒歩5分
難波神社の御朱印

難波神社では上記のような御朱印をいただくことができます!
難波神社の見どころをご紹介!

鳥居をくぐって参拝スタート!

鳥居をくぐってすぐのところに手水舎があります。こちらで身を清めていきましょう。

正面に見えるのが社殿です。1974年に再建されたものが現存します。

境内の真ん中には御神木である大きな楠があります。この楠は第二次世界大戦末期の大阪大空襲で焼け傷を負いながらも生き残った、大阪市中心部で最古とされる安土桃山時代のものです。戦災を乗り越え、現在も力強くそびえ立っています。

難波神社にはいくつか摂社、末社があります。摂社として鎮座するのが「博労稲荷神社」です。本社の西側に鎮座するこの稲荷社は、大阪・船場が商業の中心地として発展するなか、商家の人々から篤く信仰されてきました。
古い記録には、難波神社そのものが「稲荷社」や「稲荷宮」と記されるほど、稲荷信仰が盛んだようです。

末社として鎮座するのが「金刀比羅神社」です。西門の横に鎮座する神社で、もともとは堀江にあった御旅所(祭礼の際に神様が一時的に滞在する場所)の東南隅に祀られていました。
詳しい由緒は不明ですが、江戸時代に御旅所が設けられた頃から祀られていたと考えられています。

もう一つの末社が「十四柱相殿神社」です。境内の東南隅に鎮座する十四柱相殿神社は、かつて複数の末社に分かれて祀られていました。
火災や境内の整備に伴って移転・合祀が進み、明治21年(1888年)に鉾蔭神社と安邦神社の祭神を六柱相殿神社に合祀し、現在の「十四柱相殿神社」と改称されました。

その他、難波神社では各種おみくじや絵馬をいただくことができます。

ダルマのデザインの絵馬などをいただくことができます。
まとめ
読んでいただきありがとうございました。
ぜひ、魅力溢れる難波神社にお立ち寄りください!


コメント