室町時代

南北朝時代

【日本史】山名時義とは?但馬・備後を治めた山名惣領の活動と最期

山名時義(やまなときよし)は、南北朝時代の山名一族を率い、但馬・備後などの守護を務めた武将です。父・時氏と兄・師義の死後に一族内で力を持ち、足利義満に仕えながら、畿内への出陣と領国の支配に携わりました。時義の活動は、後に起きる明徳の乱の前史...
室町時代

【日本史】山名宗全とは?嘉吉の乱での台頭から応仁の乱までの生涯

山名宗全(やまなそうぜん)は、室町時代に但馬などの守護を務め、応仁の乱では西軍の中心となった武将です。もとの名は持豊といい、将軍・足利義教が殺された嘉吉の乱で赤松氏の討伐に加わると、播磨守護の地位を得て勢力を広げました。一方、手に入れた播磨...
室町時代

【日本史】山名時熙とは?明徳の乱からの復帰と領国再建、宗全への継承を解説

山名時熙(やまなときひろ)は、室町時代前期の守護大名で、山名持豊(宗全)の父です。父・山名時義の死後に但馬を継ぎましたが、一族の氏清・満幸に攻められて領国を失い、その後は幕府方として戦うことで但馬守護へ復帰しました。帰国を果たした時熙は、応...
室町時代

【日本史】山名師義とは?南北朝の合戦と幕府への帰順、但馬守護となった生涯

山名師義(やまなもろよし)は、南北朝時代に父・山名時氏とともに山陰の軍勢を率い、京都へ攻め上った武将です。南朝方として足利氏と戦ったのち、幕府へ帰順して丹後などの守護を務め、1372年には但馬守護となりました。師義の活動は、父の後を継いだ数...
室町時代

【日本史】山名氏清とは?丹波守護としての活動と明徳の乱での最期

山名氏清(やまなうじきよ)は、南北朝時代から室町時代にかけて丹波・和泉などの守護を務めた武将です。父・山名時氏が築いた勢力を受け継ぎ、幕府の命令で南朝方と戦ったほか、一族の山名時熙らを討って但馬にも進出しました。ところが、一族内の争いで地位...
室町時代

【日本史】山名時氏とは?南北朝の戦いで山陰に勢力を築いた生涯

山名時氏(やまなときうじ)は、南北朝の内乱で足利方と南朝方の双方に立ち、伯耆・因幡を中心に山名氏の勢力を築いた武将です。足利尊氏に従って守護の地位を得ましたが、幕府内部の争いである観応の擾乱では尊氏の弟・足利直義を支持し、その後は南朝側から...
室町時代

【日本史】馬場信春とは?信濃の城を支えた武田の重臣と長篠の最期

馬場信春は、武田信虎・信玄・勝頼の三代に仕えた武将です。馬場信房の名でも知られ、信玄の信濃攻略では城の攻撃や守備、築城などを任され、武田家の勢力拡大を支えました。「不死身の鬼美濃」と呼ばれるほどの勇将として知られていますが、その活躍は合戦だ...
室町時代

【日本史】今川氏真とは?桶狭間後の領国喪失から、徳川の世を生きた晩年まで

今川氏真は、今川義元の子で、父が桶狭間で戦死した後に駿河・遠江の支配を維持しようとした大名です。武田信玄と徳川家康の侵攻によって領国を失いましたが、その後も北条・徳川両家と関わり、江戸時代初めまで生きました。蹴鞠や和歌を好んだために国を滅ぼ...
室町時代

【日本史】今川義元とは?駿河・遠江・三河の支配と桶狭間までの生涯

今川義元は、駿河・遠江を基盤に三河へ勢力を広げ、今川氏の全盛期を築いた戦国大名です。桶狭間で織田信長に討たれた最期が有名ですが、その前には家督争い、北条氏との抗争、領国の法整備を重ねていました。義元は、なぜ出家した身から当主になり、どのよう...
室町時代

【日本史】今川氏輝とは?寿桂尼と進めた領国経営、急死から花倉の乱へ

今川氏輝は、今川氏親の子として駿河の今川家を継いだ戦国大名です。母の寿桂尼に支えられて政務を始め、家臣団の編成や商業振興に取り組む一方、甲斐の武田信虎とも戦いました。義元の兄にあたる人物です。若くして亡くなったため、氏輝は花倉の乱の前に急死...