武田八幡宮とは?
武田八幡宮は、山梨県韮崎市に鎮座する、甲斐武田氏と深いゆかりを持つ古社です。弘仁13年(822年)に創建されたと伝えられ、平安時代末期には武田信義がこの神前で元服し、「武田」の名を称したことから甲斐武田氏発祥の地として知られています。その後も武田家の氏神として篤く崇敬され、武田氏の歴史を今に伝える重要な神社です。
所在地:山梨県韮崎市神山町北宮地1185
TEL:0551-33-9370
参拝時間:24時間

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御利益と御祭神
武田八幡宮がお祀りしているのは武田武大神(たけだたけのおおかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)です。
歴史

武田八幡宮は、山梨県韮崎市に鎮座する古社で、甲斐武田氏の発祥と深い関わりを持つ神社です。
伝承によると、その起源は平安時代初期にさかのぼります。弘法大師がこの地を訪れた際、山を背にした空中に八幡神が現れ、「我をこの地に祀れば国家は安泰となる」と告げたとされています。弘法大師は京へ戻ると、この神託を嵯峨天皇に伝えました。これを受けて弘仁13年(822年)、嵯峨天皇の勅命により、それまで桜の御所に祀られていた武田武大神を現在地へ遷し、さらに八幡宮の総本社である宇佐神宮から八幡神を勧請して合祀したことが、武田八幡宮の創建と伝えられています。
その後、貞観年間(859~876年)には京都の石清水八幡宮からも神霊を勧請し、信仰を深めていきました。武田八幡宮が甲斐の歴史で特に重要な存在となるのは、平安時代末期です。甲斐源氏の新羅三郎義光を祖とする龍光丸が、保延6年(1140年)、13歳のときに武田八幡宮の神前で元服し、「武田太郎信義」と名乗りました。これが甲斐武田氏の始まりとされています。
武田信義はこの地に館を構えるとともに、武田八幡宮の本社や末社を整備し、一族の氏神として篤く崇敬しました。その後も武田氏との結びつきは受け継がれ、武田八幡宮は甲斐武田氏の発祥と繁栄を見守る重要な神社として信仰されていきました。現在も武田八幡宮は、約1200年にわたる歴史を伝えるとともに、甲斐武田氏ゆかりの神社として篤い崇敬を集めています。
武田八幡宮のアクセス
山梨県韮崎市神山町北宮地1185
◆交通機関
中央自動車道 韮崎ICから約15分、バス停「武田八幡入口」より徒歩約5分
武田八幡宮の御朱印

武田八幡宮では上記のような各種御朱印をいただくことができます!
武田八幡宮の見どころをご紹介!

鳥居をくぐって参拝スタート!こちらはニノ鳥居で両部鳥居の様式で作られています。武田信虎公・武田信玄公によって再建され、その後修復を重ねて今に至ります。中央部に「武田八幡宮」と書かれた額が掲げられていますが、これは信玄公が書いたものだと伝えらえています。
こちらの鳥居から少し坂を登ったところに社殿はあります。

坂を進むと見えてくるのが、三ノ鳥居(明神鳥居)と随神門です。

近くには手水舎もあるので、参拝前にこちらで身を清めていきましょう。

天保12年(1841年)に再建されたものが現存します。随神門は神域への入口として、左右に武官の装束を着て剣と弓を持つ随身姿の閽(かどもり)の神像を祀っています。

拝殿・本殿へは階段を登って向かいます。

階段を登って辿り着くのが拝殿です。こちらでお詣りしていきましょう。

その裏にあるのが本殿です。武田信義公から400年後の天文10年(1541年)に武田信虎公・武田信玄公によって再建されました。三つの扉と大きな屋根が特徴の三間社流造檜皮葺という様式で造られています。
昭和4年本殿が国宝(重要文化財)に指定されました。

本殿の隣には「若宮八幡宮」があります。永久2年(1220年)に武田信義公の弟である加賀美次郎遠光によって建立されました。仁徳天皇(応神天皇の御子)がお祀りされています。

左奥の山道を通ると辿り着くのが「為朝神社」です。鎮西八郎為朝公(源為朝)をお祀りした神社で、為朝公死後、身内である武田信義公によって建立されました。
鎮西八郎為朝公(源為朝)は強弓で知られる武将で、保元の乱に敗れた後、伊豆大島へ流されました伝承によると、あるとき大島に疱瘡の神を名乗る老翁が現れると、為朝は島の人々を守るため弓矢を向けて退散させました。その後、大島では疱瘡が流行しなかったと伝えられ、為朝神社は疱瘡除けの信仰を集めるようになりました。
徳川家康も参拝し、武運長久や疱瘡・麻疹からの安穏を祈ったと伝えられています。


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