室町時代【日本史】今川氏真とは?桶狭間後の領国喪失から、徳川の世を生きた晩年まで 今川氏真は、今川義元の子で、父が桶狭間で戦死した後に駿河・遠江の支配を維持しようとした大名です。武田信玄と徳川家康の侵攻によって領国を失いましたが、その後も北条・徳川両家と関わり、江戸時代初めまで生きました。蹴鞠や和歌を好んだために国を滅ぼ... 2026.10.21室町時代
室町時代【日本史】今川義元とは?駿河・遠江・三河の支配と桶狭間までの生涯 今川義元は、駿河・遠江を基盤に三河へ勢力を広げ、今川氏の全盛期を築いた戦国大名です。桶狭間で織田信長に討たれた最期が有名ですが、その前には家督争い、北条氏との抗争、領国の法整備を重ねていました。義元は、なぜ出家した身から当主になり、どのよう... 2026.10.20室町時代
室町時代【日本史】今川氏輝とは?寿桂尼と進めた領国経営、急死から花倉の乱へ 今川氏輝は、今川氏親の子として駿河の今川家を継いだ戦国大名です。母の寿桂尼に支えられて政務を始め、家臣団の編成や商業振興に取り組む一方、甲斐の武田信虎とも戦いました。義元の兄にあたる人物です。若くして亡くなったため、氏輝は花倉の乱の前に急死... 2026.10.20室町時代
室町時代【日本史】今川氏親とは?家督争いを越え、遠江の領国と今川仮名目録を築いた大名 今川氏親は、北条早雲として知られる伊勢盛時の支援で家督を取り戻し、駿河から遠江へ領国を広げた戦国大名です。今川義元の父でもあり、晩年には領内の争いを裁くための分国法「今川仮名目録」を制定しました。幼いころに父を失った氏親は、どのように当主と... 2026.10.20室町時代
室町時代【日本史】今川義忠とは?遠江進出と塩買坂の戦死、氏親へ続く家督争い 今川義忠は、室町時代後期に駿河守護を務め、遠江へ勢力を広げようとした今川家の当主です。今川氏親の父であり、伊勢氏出身の北川殿を妻としました。応仁・文明の乱では東軍に属しましたが、遠江での戦いの帰途に命を落としました。義忠の戦死後、幼い氏親と... 2026.10.20室町時代
南北朝時代【日本史】今川範国とは?足利尊氏に従い、駿河今川氏の基礎を築いた守護 今川範国は、鎌倉時代末期から南北朝時代に活動し、駿河今川氏の基礎を築いた武将です。三河に起こった今川家の出身で、足利尊氏に従う中で遠江・駿河の守護となり、室町幕府の政務にも携わりました。今川貞世、のちの了俊の父にあたります。範国の重要性は、... 2026.10.18南北朝時代室町時代
鎌倉時代【日本史】今川国氏とは?吉良氏から分かれ、三河で今川家の祖となった人物 今川国氏は、鎌倉時代に三河国の今川を領し、今川氏の祖となった人物です。吉良長氏の次男とされ、現在の愛知県西尾市今川町にあたる土地の名を名字にしました。義元や氏真で知られる今川家の始まりは、駿河ではなく、この三河にあります。国氏の詳しい生涯を... 2026.10.17鎌倉時代
安土桃山時代【日本史】北条氏盛とは?小田原合戦後の北条家を継ぎ、狭山藩へつないだ初代藩主 北条氏盛は、北条氏規の子で、小田原北条氏最後の当主・北条氏直の養子となった人物です。1590年に北条氏が関東の領国を失うと高野山へ移りましたが、赦免後に領地を得て、大名として家を残しました。北条氏の歴史は、小田原合戦で家族全員が滅んだわけで... 2026.10.17安土桃山時代室町時代江戸時代
室町時代【日本史】北条氏規とは?豊臣秀吉との交渉と韮山城の防衛、北条家存続への道 北条氏規は、北条氏康の子で、三浦方面の支配や西国との外交を担った武将です。豊臣秀吉との交渉にあたり、1590年の小田原合戦では韮山城を守りました。北条氏が関東の領国を失った後も、氏規は家の存続につながる役割を果たします。この記事では駿府での... 2026.10.17室町時代
室町時代【日本史】北川殿とは?今川氏親を支え、北条早雲を駿河へつないだ女性 北川殿は、駿河守護・今川義忠の妻で、今川氏親の母です。北条早雲として知られる伊勢盛時の姉または妹にあたり、今川氏と伊勢氏を結ぶ人物でした。夫が戦死した後、幼い息子は当主の地位をめぐる争いに巻き込まれます。北川殿は盛時の助けを得て氏親を支えま... 2026.10.16室町時代